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パナマを越えて=本間剛夫=56

 「ずいぶん、のんびりした偵察だったなあ、今日は…」という声がした。私は、そののんびりさがくせものだと思った。アメリカの意図が匿されているのだ。最後の攻撃を加えるための予備行動と思われないことはないからだ。執拗な旋回で丹念に航空写真を撮っていることも考えられる。その間に逃亡中の兵と交信したかも知れない。
 定刻より一時間近くも遅れて、今日は副官が姿を現した。生色がなく、足もとに力が抜けたような歩き方をした。果たして副官は重大な発表をする、と前置きし、沈痛な面持ちで口を開いた。
 「連合軍は沖縄列島を完全に占拠した。皇軍は本土決戦の体勢にある。皇軍は御稜威のもと本土を守り、最後の反撃を加えようとしている。我々はこの小島にとり残され、この重大なる作戦に参加ができないことは残念でならない。本官も腸を千切られる思いであるが、お前等とともに八百萬神の加護のもと本土決戦の成功を祈る次第である」
 私たちは数ヶ月前、硫黄島が陥ちたと知らされてからの戦況を全く知らなかった。いくたびも転進ということばを聞いたが、その意味を誰もが知っており、敗戦はもう時間の問題であることを悟っていたのだが、師団司令部から直接、予期したよりも早く(最後)ということばを聞こうとは思わなかったのだ。
 しかし、豪州、ニューギニア、ソロモンと後退を余儀なくされてきた島の将兵にとって、副官のことばは、彼が考えるほどには我々命令受領の兵隊たちに衝撃を与えなかった。衝撃を受けとるほどの感度は既に我々には失われていたというのが正しいかも知れない、南冥の孤島にとり残され、爆撃にさらされるにまかせている鳥合の衆に、何ができようか。
 我々は三々五々と帰途についた。
「神風は、いつ吹くのかなあ……。本土がやられてからじゃ手遅れだよ、ねえ、神様」という声がした。それは心底からの祈りと空しく哀しい自嘲の響きだ。「……ともかく、日本は負けたことがねえんだからな、どたんばに来て、何とかなるさ。そろそろ台風の時機にもなるし……」農耕班の曹長が云った。

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 雨雲が三角山の頒上に現れた。スコールが来る。
スコールに洗われるのは兵たちの楽しみであった。
谷川の冷たい水と逢って、スコールは適当に温かく入浴に代わるものだった。時には、スッ裸になって石鹸と手拭いをもって濠をとび出し、石鹸を前身に塗りたくったとたんにスコールが止んでしまう、という不覚をとることもあったが。
 私はゆっくりと昨日の緑のカーテンを目ざして登って行った。三角山を越える兵隊は私だけだったから、誰かに見られているという心配はないが、もしかしたらという懸念を感じて、時おり立ち止って周囲を見渡した。どこにも人影はなかった。
 あたり一面が夕暮れのように暗くなったと思うと忽ち滝のような大粒の雨が強風を伴って襲いかかった。
 雨粒は痛いほど私の全身を打って忽ちずぶ濡れにし、行手に無数の細い急流を作り、足もとの石を転がした。スコールはいつも東の海上からやってくるのが常だったが、今日は三角山に遮られてスコール雲に気づくのが遅かったのだ。
 幾度か足をすくわれそうになりながら這うようにして漸くカーテンの前に辿り着いた。昨日作ったカーテンの窓を用心深くくぐり抜け、雨に濡れた雑嚢からローソクとマッチを取り出した。