ホーム | 連載 | 2015年 | 3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖 | 3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖=(下)=施設手前で線量計「ピー」=未来の福島、今のゴイアニア

3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖=(下)=施設手前で線量計「ピー」=未来の福島、今のゴイアニア

オデッソンさんたち、被ばく者の思い出は汚染物質としてこの地に埋設・管理されている

オデッソンさんたち、被ばく者の思い出は汚染物質としてこの地に埋設・管理されている

 原発事故によってブラジルに移住した一條・ルシアノ夫妻。彼らとともに車で、1987年9月~10月にかけて起こった被ばく事故現場へと向かった。
 まず訪れたのは、廃棄物が保管されている施設である。ここはゴイアニア中心部から西に約30キロのところに位置している。有刺鉄線の向こうには、古墳のような土の盛り上がった場所が見える。ここの地下10メートルの場所に汚染された物質を埋設してある。被害者団体の代表、オデッソン・アウヴェス・フェレイラさんの結婚用のネクタイや息子の写真、ペットといった思い出は、汚染された現場の土砂とともにここに眠っている。
 線量計で測ってみたが0.04マイクロシーベルト毎時と平常値なのは、幾層にも鉛を敷き詰め、その下に汚染物質を封じ込めるという厳重な管理がなされていることを示していた。90年代半ばまではドラム缶などに入れて野外に雨ざらしで保管していたそうで、錆びて中身がしみ出てしまったという。しかしこれを杜撰だといってバカにすることはできない。福島では除染した表土をフレコンパックという黒いビニール14万袋に詰め、野ざらしにした結果、破れたり雑草が生えてきているのだ。新たに埋め直した分、ブラジルの方が対応が誠実なのかも知れない。
 ゴイアニア中心部の一角に現場はあった。一軒家や小ぶりな集合住宅が隙間なく並んでいる一帯に、1カ所だけ、不自然に空き地となっている一角がある。道路に平行して、高さ3~4メートルの広告の骨組みのようなものが建っている。かつて立ち入り禁止とかそんな警告が貼られていたのだろうか。地面はコンクリートで覆われていて、ゴミがあちこちに放置されている。奥には事故を題材にしたレベルの高いグラフィティアートが描かれているのが見えた。
 車から降りてもいないのに線量計が「ピー」とけたたましい警報音を鳴らした。道路とコンクリートの境目手前あたりは最も線量が高く1.1マイクロシーベルト毎時もあった。一方、コンクリートで覆われた奥の一帯は0.1マイクロシーベルト毎時と住むのには問題がないぐらいに低かった。
 この結果は奥のエリアはしっかりと除染し、手前が手薄だったということか。こんな詰めの甘さは当初ドラム缶で管理しようとした甘さに通じるものかも知れない。
 近所の住民に話を聞いてみた。道路を挟んで向かいの家には「引っ越してまだ半年」というアマゾン出身の青年が住んでいて、「事件のことは知っているが気にしたことはない」と言った。
 向かって左の隣の建物に住んでいるふくよかな中年女性は「事故の後、数年してからここに越してきたの。この家は事故のときのまま。だけど放射能のことは全然問題ないわ」と言った。
 その中年女性の奥にはおなかを大きくした妊婦が住んでいるのが見え、いくら何でも無頓着すぎないかと心配になった。それだけ風化したということなのか、そもそも当事者以外は気にはしていないと言うことなのだろうか。
 町の郊外にある墓場には亡くなった四人の墓が、敷地の端に身を寄せ合うように固まっていた。墓を作るとき、反対する暴徒が発生したというが、今では誰も訪れることがないのか、備えられた造花は朽ち果てコンクリート製の墓の裂け目から雑草が生えだしていた。福島も直接の被害者以外は事故のことを気にせず、着々と風化が進んでいくのだろうか。墓の劣化を目の当たりにして、そんなことを考えた。
 事実、一條さんはそのようなことを考えていたようだ。
 「ゴイアニア被ばく事故の現場を訪れて、放射能の恐ろしさと、近隣の人たちが放射能に対して何も知らないということの恐ろしさを知りました」
 被災者以外の人たちの無関心・世論の風化を見た彼女は、未来の福島をゴイアニアの現在とダブらせていた。(終わり)