副官室では副官の左右に庶務課長と粟野中尉が控え、副官の正面に椅子が二脚並んでいた。私が気づかぬうちにエリカはいつの間にか眼帯を外していた。
「連れて参りました」
エリカとアンナは並んで、例のように掌を相手に向ける挙手の礼をした。答礼したのは粟野中尉だけだった。
「答礼しないのは。失礼です」
ゆっくり、しかも強い調子でエリカが日本語でいった。
三人は呆然とエリカを見詰めた。私もエリカの日本語を聞くのは初めてだった。副官も科長も明らかに不快さを顔に現した。粟野中尉がその場をつくろうように立ち上がった。
「まあ、掛けなさい」
二人は渋々と腰を下ろした。そしてエリカは今度は叫ぶようにいった。
「私たちは捕虜でも敗者でもないのです。この席は適当ではありません」
どんな事態になるのか私は唾を飲み込んだ。銀行で机を並べていたとき、こんな激しいエリカを見たことはなかった。むしろ昔風の教養ある女性のような立ち居振舞いを崩したことがなかったのだ。そのエリカのどこに、こんな激しさが潜んでいたのか。さすがに副官の顔色が紅潮し、ギラギラと光る眼でエリカを睨みつけた。しかし、次の瞬間その顔は歪み、腕を組んで視線を外した。重い空気が部屋を満たした。
「……なるほど、あなたたちの席は法廷の被告席だ。これは迂闊だったね。円卓の形がよかった」
粟野中尉はやはり民間出身者の融通性をもっていた。この場を円満に治めるために不快さを見せないのはさすがだった。中尉が机の位置を変えようとして立ったときエリカが制した。
「これで結構です」
再び、沈黙が流れて、エリカが口を開いた。
「福田兵長と粟野中尉には大変お世話になりました。眼の治療では医務室のお世話になったことを、先ず最初にお礼を申し上げます」
何という豹変だろう。ゆっくり落ち着き払ったエリカの態度に将校たちは困惑していた。
「……私たち姉妹が、日本人の子であるということをご承知下さい」
三人の将校の戸惑いは三人が互いに顔を見合わせ、眼を伏せたことで明らかだった。
粟野中尉が口を開いた。
「わたしは電信担当だ。連合軍との連絡の必要上、君たちの経歴を聞きたいのだが……」
中尉は胸ポケットから手帖を取り出した。
「申し上げます。私はエリカ・フカヤ。一九一九年メキシコ共和国エンセナーダ市生まれ。所属部隊はカリフォル二ア州サンジエゴ第二海軍基地OMP部隊宜撫班。認識票3329AC57です」
「あなたは……」
中尉はアンナに質問を向けた。
「私はアンナ・フカヤ。生誕日、その他は全く姉と同じです。認識票3329AC58」
「有難う。あなた方は双生児だったのですね。道理でよく似てる……。日本語はどこで勉強したのですか」
二人が流暢な日本語を話すことに三人の将校たちははぐらかされた、一杯喰わされた思いで不快を覚えているに違いない。私にしても日本語を話すとは今の今まで知らなかったのだ。なぜ匿していたのか。
「……会話は父から習いました。ブラジルではサンパウロで……」
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