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パナマを越えて=本間剛夫=74

「私も父からです。そのあとはメキシコ・シチィの日墨協会の日本語コースです」
 アンナが続けた。
 それから相互に構えた障壁が取り除かれたように見えた。
「お父さんが日本人だったのですね」
「そうです。母はメキシコ人でした。この戦争には自発的に参加しました。父の国と戦うことで私たちの生国に忠誠を示すためでした。それはアメリカでもブラジルでも二世に共通した運命でした。宿命といってもいいでしょう。なぜでしょうか……」
 詰問の口調だ。副官が唇を噛んで口を鳴らした。お前らは日本人子ではないと一喝したいのだろう。エリカはそれに気付かないふうで続けた。
「私たち二世は生国で正当な国民としての待遇が受けられなかったために、父母の国と戦うことによって生国への忠誠を示す必要がありました」
 エリカの口調が早くなった。落ち着くように、冷静にと努めながら感情の高まりを抑えきれない様子が見えた。
 数秒が流れた。
「……それから、私と妹は、アメリカの情報要員でした。日本人から得た情報をアメリカへ通報していました。後ろ立っている兵長がなぜ、海戦前にブラジルを去って日本へ帰ったのか。私はその理由を知っていました。私もその工作の一員でしたから……。彼は貴重な……軍需品を生命に賭けて、日本へ届けたのです……」
 今度は副官たちの眼がいっせいに私の眼を射た。
〈エリカが知っていたとは……? あの生命をかけたダイアの帯を! 愛を語り将来を誓い合った相手の男を突き離して、完全に諜報の任務を果たしたというのか……。何という冷酷な女……〉
 しかし、エリカは私のそんな感情を無視している。「海戦になると、私たちは海軍宜撫班に編入されました。グループにはメキシコやブラジルの二世もいました。アメリカの二世は勿論です。彼らも私たちと同じ考えでした。これは日本にいる日本人には理解できないことだったでしょう。一世と二世では国家観に開きがあります。ですから、アメリカが対日開戦の準備を始めたとき、在留日本人から日本に対して対米開戦反対の声が上がらなかったのに歯痒い思いをした人々は全く少数でした。……それは、もしかしたら日本が勝つかも知れないと一縷の望みをかけた人の方が絶対多数だったからでした。そんな在外日本人の置かれていた環境をあなたたちに理解できるでしょうか。……日系兵は殆どヨーロッパとアフリカ戦線に参加しました。私たちは日本軍と接触できる海洋州を志願したのです。私たちの任務は日本語の伝単を作って日本兵のいる島々に撒布することでした……。二年半撒き続けたのです……。早く降服すべきだと勧告しました」
 ああ、あの夥しい日本文の伝単はエリカが書いたものだったのか……。私はエリカがサンパウロのサンジョアキン街の日本語学校に通っていたことを知っていたが、それはミナミ支店長の日本人顧客獲得の方針に沿うためと、私との結婚に備えるためのいじらしい努力と見て協力していたのだ。
 それが、彼女のスパイという任務のためだったとは……。私は不甲斐なさと不明だった恥辱に立ち竦む重いでエリカの背を見詰めていた。
 数秒が流れた。エリカは今度は自ら励ますように、三人の将校を見据えた。