エリカは瞼を瞬いた。
そのとき庶務の兵隊が入って来たので話は中断した。今も君を愛しているというには、今のエリカは遠く高い存在であることを悟らなければならなかったが、それでも彼女の愛を確かめたかった。
◎
翌日、部隊の使役兵による第二病棟の発掘作業が進み、中村中尉、三浦軍曹、荒川、細谷両上等兵、少年兵などの屍も発見された旨、命令受領で発表された。それから壕の外に天幕を張って収容した患者四人も快方に向かい、原隊に復帰した。と伝えられた。
遂に降服調印の日が来た。
意外にも私が調印者の一人に加えられた。エリカの尽力によるものに違いなかった。副官、科長、粟野中尉、そのあとへ私はエリカとアンナを伴ってゴム林を越えた。
海は凪いで林の中を涼しい風が流れていた。
「君らが落ちたのは、この辺だったよ」
二人に説明した。機体は草むらに没していて見えなかった。
汀(みぎわ=波打ち際)に立つと、五十メートルほどの沖合いに停泊していた輸送船からボートが漕ぎ出され、緩い波の上を汀に向かって近づいて来た。二人の兵が海中に入り、姉妹を抱くようにしてボートに移した。そのあとから私たち三人が乗り込んだ。
海兵隊員の捧げ銃に迎えられた私たちは調印式場に案内された。星条旗が左隅に掲げられたサロンに数名の将校が並んで、緊張した空気が重く淀んだ。エリカ、アンナは星条旗の下に舷側を背にして席を占め、副官以下が米将校団の前に並んで椅子を与えられた。
中央の佐官が、まずエリカ姉妹に質ねた。
「待遇は、どうでしたか」
「最高でした」
エリカの明快な答えに佐官は頬を緩めた。
幽閉された土牢の生活が快適だった筈はない。副官と科長がほっと肩を撫でおろす気配がした。
左官が副官の前に一枚のタイプ打ちの文書を差出した。副官がそれを受け取って粟野中尉に示し、中尉が低く日本語に訳した。
ギルバート諸島を代表する第九〇一師団の長は、ポツダム宣言に定める諸条項に服し、次の諸条項を忠実に実行すること。
一、アバィアン島在駐軍軍備を完全解除すること。
一、地上、地下軍事施設を破壊し、将兵の軍装備を指定する地点に集積すること。
一、軍隊形式の総てを廃すること。但し、集団の秩序を維持するため旧階級制度による自治運営は許される。
その他の細目がいくつか読み上げられ、中尉は私に「これでいいな」と念を押した。未尾に副官と科長が署名し、別欄の承認欄に中村中尉と私が署名した。副官がそれを左官に捧げるように差出した。
これで調印式が終わったと思ったとき、星条旗を背にエリカが立ち上がった。米軍将校団も我々もいっせいにエリカを注視した。
「この、衛生兵は、……ブラジルの国籍をもつ連合国人です。彼は非戦闘員として私たち二人を保護し、私たちの生命を救ってくれました。
彼は私用のため帰国して日本滞在中に南米行きの便船を失い、衛生兵として召集されたものです。願わくば、彼がブラジルへ帰れますよう特別の配慮をお計らい下さい」
エリカの意外な発言には将校団は互いに顔を見合わせた。私の胸は激しく揺れ、呼吸を苦しくした。