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パナマを越えて=本間剛夫=81

 そのとき傍らにいた三十歳ほどの男がエスタニスラウに近づいて握手を交わしながら私に冷たい視線を投げた。エスタニスラウはその青年と旧知の仲なのだろうか。そのことを質そうとしたが、彼が同伴者の紹介を始めたので、それはあとに譲ることにした。青年は私には挨拶しようとせず、迎えの車に三人を乗せようとしたとき、エスタニスラウは私の手を握りながら、低い声で新橋駅近くのホテルの名を告げた。
 私は青年とエスタニスラウの態度に釈然としないまま、彼らのあとから車を走らせたがホテルに着いてみるとロビーに彼らの姿がない。受付で尋ねると、もうそれぞれの部屋に入ったという。いずれ夕食には出てくるだろうと私はロビーに腰をおろして新聞を読んでいた。三十分もすぎたとき、エスタニスラウがいつの間にか私の前に立っていて、今夜二人だけでゆっくり話したいから、どこか適当なところへ案内してくれという。
 その夜、知人の経営する東銀座の喫茶店でゆっくり話し合った。エスタニスラウの同行者二人のうち一人はゲバラ、一人はボリビアの労働運動家で彼らはジャングル戦用の特殊兵器の注文に来たのだという。ゲバラは写真で見ていた髭をすっかり剃りおとした美男になっていたが、私はすぐに見破った。
 カストロを扶けてキュウ―バの経済的独立を成功させたあと、どこかに姿を消したゲバラは次にボリビアかパラグアイを狙うだろうというのが南米通の外交筋の意見だった。ゲバラは三回訪日している。一回目は昭和三十一年(一九五六)七月ニ十二日でキューバ国立銀行総裁として、時の総理池田勇人と会い、日本・キューバ両国の貿易と文化交流について話し合った。
 ゲバラがキューバのカストロと別れてボリビアに入ったのは、それから十一年後の六十七年一月だった。その間、ゲバラはブラジル人として二回訪日している。その一回めが今度の訪日なのだ。目的は兵器製造でその名を知られる横浜相川製作所で軽機関銃の注文、二回めがその受領のための打ち合わせだった。
「じゃ、あの日本人は誰なんだ」
 私を無視したあの青年が気になっていたのだ。ところが以外な返事が返ってきた。「日本人じゃない。彼はコレアーノ(朝鮮人)です。ゲバラの側近にはシネース(中国人)もいるんです。驚いてはいけませんよ、ジャポネース(日本人)もいるんですから。センセイ、このことは絶対、極秘ですからね。センセイだから信じてお話しするんです」
 フランス語だ。
 私は以外なエスタニスラウの言葉に驚いたが、彼の人指し指を唇にあてて私の眼を見つめているのに応えて深く頷いて見せた。
 暫く会話がとだえたあと、エスタニスラウがなぜゲバラと行動するのかを訊ねようとしたが、止めた。あとでゆっくり話す機会があるだろう。何か深い事情があるにちがいない。
 気がつくと三、四人いた客が、いつの間にか一人も姿がなく、私たち二人だけで時計は十時を廻っていた。勤めがあるので明日休むわけにはいかないが、外出できるからいつでも電話をくれと名刺を渡して、エスタニスラウをホテルに送り届けて家路についた。
 床に入ってからも、あの赤顔の美少年だった彼が立派な紳士に成長しているのを頼もしく思いながら彼の来日の目的を聞いているので、それ以上ま詮索するのはやめようと思った。