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パナマを越えて=本間剛夫=82

 翌日昼ちかくなってエスタニスラウから電話がきた。それは外務省の役人が通訳と案内役をつとめてくれることになったから、今日来なくてもいいというのだ。アルゼンチン人のゲバラが偽名し、しかもブラジル人として入国しているのに、外務省の役人が世話をするとは……と腑に落ちなかったが、電話は短く切れたので追求もせず私は仕事をつづけた。
 それでも気にかかっていたので、翌日早くホテルに電話をかけてエスタニスラウを呼び出し単刀直入に切り込んだ。
「君はゲバラとどんな関係があるのか。ポーランド人の血をもつ君が、ドイツや共産国のソ連から長い間虐げられてきたのにコムニスタ(共産主義者)ゲバラと行動を共にするとはどういうわけか」
 私は昨夜、彼から今日の同伴を断られた不快さが内心わだかまっていたのか強い口調になった。
 「……ゲバラはコムニスタじゃない。ソーシャリスタ(社会主義者)です。ラテンアメリカに共通する悪質資本主義を打倒して……」
 エスタニスラウはそこで電話を切った。
 私は忙しいだろう彼に、電話で思想的な問題でなじるのは浅はかだったと後悔した。
 その夜おそくエスタニスラウから電話があった。
兵器の注文は順調に進んで、いずれ来春受領に来ることになろう……工場側は兵器としては、もちろん輸出はできないから、部品として数回に分けて送る。その手続きは任せてくれという。こんなことは工場側も十分慣れているらしい。工場が多量の兵器をコレイア(朝鮮)やシーナ(中国)へ出していることは我々も知っている、という。こんな極秘な内容の会話ができるのはポルトガル語だから、彼は何の要心もせず喋っているのだが、私は気が気ではない。
「わかったよ。明日は会えるのか」
 彼の饒舌をやめさせようと低く鋭くいった。
「それがですね。ほんとに残念ですけど、明朝七時にホテルを出て羽田にいきます。でも、センセイ、来春来ますから、そのときゆっくりお話できますよ。こんどは本当に失礼しました……お元気なセンセイに会えて嬉しかったです。お元気でね……」
 それで電話は切れた。
 私は心中ほっとした。ソ連の援助をうけてキューバ経済を確立させたカストロとゲバラはソ連を背景にとするからには日本にとって好ましくない人物だ。そのゲバラと同士たちに会ったことが会社にわかったら私はどうなるか。小心の私は、これ以上エスタニスラウと会うのは避けるべきだと、危惧と悲哀を抱きながら自分に言い聞かせた。もちろん、明朝羽田にいくまいと肚を決めた。レジストロの学院で教え子たちのその後の動静などもききたかったが、諦めよう……。

      2

 それから半年が過ぎた。エスタニスラウからは全く音信がなく、私は悩むことなく会社勤務をつづけていた。一年余り過ぎたが依然として便りはない。何かが起きたのだな……。教え子エスタニスラウの身の上を案じながら徒に月日が流れていた。
 そんなある日、外務省の外郭団体の理事長で元ボリビア大使、伊原氏から電話をうけて訪ねると、私が席に着くや否や「君、ボリビアに行ってみないかな。ゲバラがボリビアに入りそうだよ。今の勤めをやめるんだな。大使館勤務でいけばいいだろう。君は日本に向かない男だから」
 そういって伊原氏は私を見つめた。