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「故郷捨てたじゃないけれど」

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映像=安永家の女性陣が先導して歌われた『移民の歌』。歌詞の一番部分は未収録(2014年3月30日、リンス本願寺)


 リンス本願寺で「移民の歌」を聞いた時、「戦前移民の心情をここまで織り込んだ曲があったろうか」といつの間にか涙腺がゆるみ、帳面の字が見えなくなった。こんなことは珍しいと自分でも驚いた▼岡山智浄住職から「この歌はね、つい10、20年前までは、途中で泣けて泣けて最後まで歌いきらなかった歌なんですよ」と聞き、さもありなんと納得した。そして「日本でも紹介したことがあるんですが、日本の人に至っては聞いてもくれない。豊かさに酔いしれている感じがしますね」と、我が故郷をまるで別世界のように感じたというひと言に、それ故にこれは「移民の歌」だと感じ入った▼歌の作者を住職に尋ねると、梶原義教(ぎきょう)ブラジル西本願寺総長(二世)だという。さっそく本人に伺うと「あれは即興でパパッと作ったもの」との意外な言葉が返ってきた。1974、5年頃、オズワルド・クルスのお寺で追悼法要があり、待ち時間があったので「今回は少し趣向を変えて歌を披露しよう」と思いつき、その場で替え歌を作ったという▼60年代頃に日本で流行った歌謡曲「達者でいるかよお母さん」(作詞=関沢新一、編曲=中村八大、歌=守屋浩)のメロディに「父母から聞いた話をまとめ、昔の移民の心を想いながら替え歌をつけた」▼「達者で~」は別名「練鑑ブルース」と呼ばれ、東京練馬区の東京少年鑑別所に収監された少年たちの間で歌われていたものが元歌だという。「暗い都の片隅で/ひとり暮らしてもう三年(みとせ)」などと都会暮らしの寂しさから「遠い故郷を思う気持ち」が込められている点が、移民と共通している。これも歌い継がれていい名曲だろう。(深)

『移民の歌』
(守屋浩=歌「達者でいるかよお母さん」のメロディ、梶原義教替え詞=現ブラジル西本願寺総長)

(1)
五年か十年したならば
必ず帰ると別れたが
言葉も分からぬ山奥で―ヨオ
エンシャーダひけども金は出ず
(2)
じっと瞼を閉じたなら
思い出すのさ泣けるのさ
手紙を出そうと思っても―ヨオ
こんな様子は書けません
(3)
あちらこちらと住み歩き
少しのお金も溜まったで
帰る気にもかったけど―ヨオ
今では父母は遠い国
(4)
故郷捨てたじゃないけれど
今ではこちらが故郷さ
真の一花咲かせて―ヨオ
み親の浄土で会いましょう