ホーム | 日系社会ニュース | パラナ州入植百周年盛大に祝う=開拓始まったカンバラで=国道沿いに大鳥居建設=「日本移民なくして発展なし」

パラナ州入植百周年盛大に祝う=開拓始まったカンバラで=国道沿いに大鳥居建設=「日本移民なくして発展なし」

 日系人口の1割15万人が集中する第二の集団地・パラナ州における最初の入植地カンバラ市(人口2万5千人)で13日、パラナ日伯文化連合会(折笠リカルド力己知会長)が主催するパラナ州日本人入植百周年祭の式典や先亡開拓者慰霊祭、大鳥居落成式などが盛大に行われた。100年前にバルボーザ耕地に入った福島県人らに始まり、上野米蔵(上野アントニオ下議の父)ら輩出し、パラナ州全土に散らばって行った。〃棉作王〃松原武雄はサッカーチームを作り、後に日本代表になる三浦知良ら数多くのサッカー留学生を育てるなど日本との関係も深かった。

式典で挨拶する喜屋武会長

式典で挨拶する喜屋武会長

 朝9時から市営墓地の共同墓碑前で慰霊法要がしめやかに行われた。当日は1920年からの15年間に同市でなくなった360人の名前が貼り出され、東本願寺の尾畑文正開教監督の読経の元、来賓の献花に続き、全州から集まった日系団体代表ら約150人が焼香した。セントロから墓地を移転する時に、家族の市外移転などで無縁墓地となっていた日本人墓地の遺骨を集めてこの共同墓碑が建設された。
 続いて、サンパウロ州最西部オーリーニョスからパラグアイ国境フォス・ド・イグアスをつなぐ幹線道路BR369の同市入口部分の街道脇に、市が建てた大鳥居の開所式が行われた。高さ7メートル、幅約12メートルもある巨大なもの。
 一行はセントロの広場に移動し、式典を行った。カンバラ日伯文化協会の喜屋武(きゃん)アントニオ会長は「パラナ入植はここから始まった。大変な辛酸をなめた先人を心から供養したい」と述べ、サンパウロ市から出席した呉屋春美文協会長も「私は沖縄で生まれたが、子供の時にこの町に来て日ポ両語で教育された思い出の地。大変感動している」と語った。
 大鳥居建設を実行したジョン・マタル・オリヴァト市長は「我が市の歴史に刻まれる一日となった。日系人の存在が他との違いをもたらした」と挨拶し、セルシリオ・ツリニ州議も「日本移民の存在なくして北パラナの現在の発展はありえない」と称賛した。
 池田敏雄在クリチーバ総領事は「パラナ州15万日系人の先駆けはここ。あらゆる分野で活躍している。8月には姉妹州県提携45周年で兵庫県の井戸知事来伯も予定されている」とのべ、西森ルイス下議も「母はカンバラ生まれ、隣のアンジラー育ち。喜屋武会長は3年前から今日の準備を始めた。節目の年を祈念して来週はクリチーバで創価学会による国宝・浮世絵展覧会も始まる」と今後も記念行事が続々と行われる。
 琉球国祭り太鼓ロンドリーナ支部30人余りが激しい演舞を見せ、広場周辺には一般市民が無数に集まった。一行はカンバラ文協会館に移動し、婦人部が前日から用意した昼食に舌鼓をうった。
 サンパウロ市から始まるソロカバナ鉄道がオーリーニョスを通ってカンバラに通じていた関係で、ここは「北パラナの玄関」といえる存在だった。鉄道沿いにアサイ、ロンドリーナ、マリンガ―などが次々に拓かれていった。


市内最高齢102歳の与那嶺さん

 カンバラ市内で最高齢は与那嶺マカトさん(102歳、沖縄)だ。身分証を見たら1913年2月生まれ、家族の一員として21歳で1935年1月に渡伯した。7人の子どもを育て上げ、一緒に住むマリアさんよれば「野菜を中心に、肉でも魚でも何でも食べる。沖縄音楽が大好きで、ビデオを良く見ている」とのこと。


【大耳小耳】関連コラム

 昨年8月時点で日系団体関係者らが、パラナ州日本移民入植百周年やパラナ兵庫姉妹州県提携45周年などの記念事業に関して、州政府や連邦議員らと相談した時には「百万レアル何とかしよう」という話だったとか。それが今年になって「ゼロ」に…。連邦議員割り当て金が厳しいことは本紙でも再三報じている通りだが、州政府も同様のよう。本日2面の「経済危機で州財政も逼迫」との記事には、パラナ州では公共投資が1割以下の大激減になったと報じられているが、これも関係するようだ。