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パナマを越えて=本間剛夫=99

 私の踊りが下手なため、終始ターニャの靴を踏んだが、ターニャは嫌なそぶりもせず私をリードした。バンドが止んで私たちは手を取り合ってソファに腰を沈めた。
「タケオ、あなたダンスだめね。こんどはわたしの部屋に来ないこと?」
 ターニャは意味ありげに私の顔を覗いた。
 ターニャはにっこり笑って私の眼を見詰めて反応を確かめるように私の手を強く握った。それから彼女は豊かな胸を私の胸に押し付けた。胸が激しく動悸を打ったが、なんとなく、彼女たちの運動の熱い枠の中へ引き込まれるような予感に襲われて返す言葉もなく、同僚と引き上げた。
 ホテルに帰って間もなく、電話のベルが鳴った。
 パウリーナだった。マチュピチュにいて、一両日中に帰るという。この町はラパスから直線で約八百キロ、ラパス発の列車がチチカカ湖西岸の標高四~五千メートルの山腹を北上する鉄路の終点にある。一本の木立もなく、ところどころに雑草群生するほかは全く瓦礫だけの荒涼たる眺めで、時おり獲物を求めて大鷲が列車を襲うように降下して乗客の肝を冷やす。彼らの餌は鼠の二倍大のチンチラだけ。ここはかってスペイン軍に襲われて消えたインカ帝国最後の都市だった。しかし、当時のペルーには文字がなく、その歴史の記録はない。すべて古人からの伝承だと説明した。
 いつにないパウリーナの饒舌に辟易しそうだったが、次の報告を聞いて彼女の饒舌が予期以上の収穫を果たしたことの裏返しだったのだと納得した。
 マチュピチュに中規模の日系の錫山があって、五百名の鉱夫が働き、彼らは彼女らの活動に全力をあげて協力することになったという。
 そこで彼女は電話をきった。

 数日後の夜半、私はターニャの部屋を訪れた。パウリーナはコチャバンバに行ったという。
「ここもそうだけれど、ペルーには現政権に対抗する二つのソ連派が私たちを援助しようとしているのに、ペキン派がおせっかいをやいてまとまらないのよ。ソ連派もまた私たちの指導権を譲らなければ動かないというの。ソ連派がコチャバンバまで降りて来ているのに、そこで停まってしまっているのは、私たちと指導権の問題で折り合いがつかないからよ。彼らは権力だけが欲しいの。農民地位の向上だけを考える私たちの思想を理解しながら協力しない。その説得にパウリーナはいったの」
 そこで言葉を切って再び話始めた。
「キューバ革命の成功の蔭にはソ連の大変な援助があったからよ。だから、今度もソ連派に期待しているけど、彼らは前から支持を伝えてきているのに、私たちと合流しようとしない。合流するなら指導権を自分たちに譲ることを条件にしているのよ。パウリーナはその説得で悩んでいるの。首領はその回答を待ってパラグアイに停まっているけど、もう諦めなければ……と考えはじめているでしょうね。
彼らは農民救済よりも権力亡者。とても頼りにならないわ。協力、援助を明言しながら少しも動こうとしない彼ら。民族主義革命グループの上層部に首領は深い不信を抱くようになったのよ。それは最近のことだけど……」
 ターニャは悲しい表情を見せた。
 私は次第にゲバラは農民を説いて多数の民兵を訓練して、単独で戦わなければならないだろう。と同時に、この国の左翼が進んでこの運動に参加しようとせず、憂愁普段な態度をつづけることが、なぜ予測できなかったのか。