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パナマを越えて=本間剛夫=100

 もし予測できたなら、なぜコロンビア、ヴェネズエラの革命派働きかけなかったのだろうかとゲバラの短慮を怒った。しかし、ペルーの同志たちは既にアンデスを越えてコチャバンバまで降りて来たことはゲバラを勇気づけるだろう。と自分を慰めた。

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 数日後、突然エスタニスラウが訪ねて来た。私はターニャの話で、この国の左翼が君たちの運動に、なぜ同士として立ち上がらないのか、なぜ、南アメリカ全体の革命グループに働きかけないのかと問い詰めた。
「それは、最近分った。私欲で動く輩には首領の思想は理解できない。私は試みに農村の若者の教育を始めているんです。もう半年も過ぎましたから、それぞれの任務につかせます。各地の若者九0名を五名ずつに分かれてコチャバンバ周辺一キロの範囲内のジャングルに散って小農場を作り食料を確保すること。その候補地も決めています。既に小麦、とうもろこしを作っているグループもあります。首領がキューバから呼んだ十七名の先発組が指導にあたっています。若者たちは十分ではないが農機具と戦闘装備をもっていますから、彼らが幹部になります……。首領は今、アルゼンチンです」
「なるほど……」
 エスタニスラウは私を安心させようと、今まで触れなかった彼の行動を話してくれた。彼は彼らの運動に対する私の理解の度合いによって小出しに事実を明かしているように思えた。
 エスタニスラウは明日からジャングルの中の農場を見に出発するといって帰っていった。

       第二部

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 ゲバラがボリビアで地下革命運動を企て、私がそのゲバラを追っていた一九六七年三月から三カ月間、ボリビア政府は鉱山労働者を主とする社会改革運動のいくつかのグループによるゲリラの動きをどう見ていたのだろう。政府はまだゲリラの活動に気づいていなかったのだ。むしろ、国内の反政府運動に気をとられて、その制圧に懸命だったのだ。
 例えば、民族解放軍と称する大学生グループが次のような檄文を印刷して、広く全土の町や村に配布して活動しているのに前神経を尖らしていたのだ。

   奴隷として生きるより むしろ死を!
   ゲリラ隊 萬歳!

   ヤンキー帝国主義者と その軍人に死を!
   監禁、投獄されている全愛国者に自由を!

 この民族解放軍は他の社会改革を標榜するグループと同じく、ゲバラの共同活動の交渉に対して指導権を主張する権力主義者たちであり、ゲバラを落胆させていた。
 ところで、この檄文に突如「ヤンキー帝国主義」の文字が現れるが、これは南米全土に広がるアメリカ資本の侵略を指している。アメリカ資本による大企業によって鉄道をはじめ石油、地下鉱物資源、農産物が左右される南米大陸の実体に、特に各国の学生たちは何とかしてこの状況から脱しなければならないというこの檄は純粋な若者たちの叫びだった。