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人の生死を分けるものは?

 24日未明、ゴイアス州でセルタネージャの歌手クリスチアーノ・アラウージョとその恋人が事故に遭い、同日から25日にかけて、通夜や埋葬が行われた▼不学故にどれほど人気がある歌手か知らなかったが、テレビでは特集を組み、遠路はるばる葬儀に駆けつけた人も多数いた。番組の一つでは、シートベルトを使っていなかったために死亡した有名人と共に、間一髪で死を免れた人の例を挙げ、「第2のチャンス」についても語っていた▼その番組を見て、子供達が幼い時、信号が変わった事を確認して道を渡り始めたのに信号無視の車が走りぬけ、乳母車を引っ掛けられそうになった事などを思い出し、間一髪で助かった経験のある人は多いはずだと改めて感じた。と同時に、以前読んだ本にあった「人は生きている限り使命がある」との言葉も思い出した▼先の歌手埋葬の日は奇しくも、5月27日に起きたピアウイ州の少女4人への暴行、強姦事件の公判の日だった。報道によると、生き残った少女3人は、供述を行うため、事件以来初めて揃い、互いに抱擁を交わすと共に涙に咽んだという。今も入院中の少女は友人が亡くなった事を知らず、他の2人が言葉を濁したというが、助かった少女の一人は、死んだふりをしたために頭部への投石を免れたともいう▼人の生死を分けるものが何であるかは知らない。テレビ番組の中では「守護天使」の言葉も出、「第2のチャンスを得た人は一様に、これまでとは違う目で自分の生き様や命の重さを考えるようになった」と語っていた。事故や事件に遭わずともすべての人が命を大切にする事を考える機会になればとも思いつつ、時が流れた。(み)