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開会式を観戦した記念の一枚
開会式を観戦した記念の一枚

1964年東京五輪=「開会式の感動今でも」=東京五輪を観た重白さん=「超満員の会場で熱狂はすごかった」

 1964年10月10日、国立競技場で行なわれた東京オリンピックの開会式。超満員7万2千人の観客の中に、後にブラジルへ移住することになる重白征夫さん(71、大阪)がいた。

笑顔で当時を思い出す重白さん

笑顔で当時を思い出す重白さん

 67年4月着伯の技術移民。高校卒業後、トヨタ自動車入社を経て、当地のフォルクスワーゲンで長年働いた。義理の父親は長崎県人会創立者の一人である浦川義人さんで、現在は学生寮を家族で経営している。
 「開会式は超満員の会場で熱狂はすごかった。中でも日本選手団の入場行進を見たときは、行進曲と相まって素晴らしいものだった」と振り返る。五輪発祥のギリシャを先頭に、ローマ字順に各国が入場。開催国の日本は最後尾で入場したため、場内の興奮は最高潮に達していた。
 コロニアから訪問団があったかを東京都友会に聞いたが、坂和三郎会長は「創立50周年誌を準備しているがそうした史実はない」という。渡伯前ではあったが、重白さんは現地観戦した貴重な移住者といえる。
 当時大阪市在住だった重白さん。入場券の申し込み窓口だった市内の体育館に、「徹夜だったか長時間並んだ記憶がある。複数枚申し込んだが結果、私一人だけが開会式のチケットに当選していた」という。
 「できたばかりの新幹線で何回か往復した。国立競技場で観戦したので陸上などを見たはずだ」。
 50年以上前の出来事とあって記憶が曖昧なところもあるが、「あのときの映像を見ると感動が蘇る。日本中が注目していた」と今でも興奮は忘れない。「聖火台の近くに座っていたため、映像を拡大すれば私が映っているかも」と笑う。当時の写真など思い出の品は、大阪に住む妹に預けているのだという。

入場券のコピー

入場券のコピー

 「戦後たったの20年で世界的行事を開催できたことは異例。どれだけ日本人の努力があったことか。和田さんという米国日系人による誘致活動があったことも最近知った。全ての同胞が切望した五輪だと思うと、なおさら感動します」
 東京五輪はアジア大陸初のオリンピックだった。来年のリオ五輪は南米初開催だ。「日本とブラジルには不思議な縁を感じる。伯移住前には別れた友人と、『ブラジルで五輪があったら再会しよう』と約束した。当時は信じてもらえなかったが、やっと実現する。また現地まで観戦に行きますよ」と語り、1年後の開幕を心待ちにしていた。