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リングの「殺し屋」が大変身=歌手としてゴスペル歌う

 対戦相手に噛み付き、血を見るのが好き、対戦相手を殺した事もある。流血の試合はTVでも中継され、皆に憎まれた男が、大変身を遂げた。
 1960年代から1980年代、総合格闘技で「怪物」とか、リングの「殺し屋」と呼ばれたアキレス(本名はヴェスパシアノ・フェリックス・デ・オリヴァイラ、77)がその人だ。
 格闘界から去ってふた昔。この間に福音派のクリスチャンとなり、ゴスペル歌手に転向したアキレスは、サンパウロ市から331キロ、人口1万5千人のタバチンガで暮らしている。
 1960年にサンパウロ市でボクシングを始めたアキレスは、アマチュアの格闘家として総合格闘技に転向した。当時はまだアキレスとしてしか知られていなかったが、他の格闘家らとTVの格闘番組に出始めた1960年代に対戦相手が死んだ事で、「殺し屋」と呼ばれるようになった。
 その後も、グローボ局の「バランサ・マス・ノン・カイ(ゆれるけど落ちない)」を皮切りに、「ジガンテス・ド・リンゲ(リングの巨人)」や「レイス・ド・リンゲ(リングの王達)」のようなTV中継も行う格闘技の試合で連戦。全国を走り回って戦い、稼いだ金は高級車につぎ込んだという。
 鼻先をツンと上げ、ニコリともせずにリングに入ると会衆や相手を挑発するという態度は、敵を作るのに十分だった。歴史に残る対戦には、互いに鎖でつないで戦ったミスター・アルゼンチンとの試合や、網囲いの中で行ったミシュル・セルダンとの試合などが挙げられる。
 相手を倒し、潰すためにリングに立ったというアキレスには「八百長」の言葉は無縁で、激しい言葉や態度で相手を挑発しは相手に激突。誰が勝つのかは誰も知らず、誰にもわからないという試合が繰り返された。脚や口、頭には今も激しい試合の跡が残っている。
 こんな人生に大転機が訪れたのは、1994年に引退後、タバチンガに住む友人を訪問した事がきっかけだった。1年だけ残るつもりが、結局、そこに住み着いた。
 現在は8年前に結婚した3人目の奥さんと暮らす。前の奥さん達との間に出来た子供は5人。町の中央にあるスポーツセンターで水泳を楽しみ、アッセンブリー・オブ・ゴッド・アリアンサ教会でゴスペルを歌ったりするのが毎日の日課の一部となっている。
 自費で出したゴスペルのCD1千枚は、友人や教会の会員にプレゼントした。彼が歌った曲はラジオでも流れ、地域の教会の代表でもある。
 だが、「今持っている最大の宝はイエス様さ。昔の俺はしかめっ面をした無愛想な人間だったけど、今の俺は喜びに溢れている」と言うアキレスには、CD製作費がいくらかかったかや元が取れるかは問題ではない。
 アキレスが使う社会ネットワーク・サービスのアカウントの一つは、「殺し屋(matador)」から「格闘家(lutador)」に書き換えられた。「過去は隠しようがないけれど、改心した事のせめてもの証(あかし)さ」と言うアキレスには、かつての「殺し屋」のイメージは微塵もない。(6月30日付フォーリャ紙より)