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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(3)=内山主幹「通説が問題だな」

 「アンシエッタ島の刑務所へ送られたではないか。それが、有罪判決が出た証拠」と反論する人も居るであろう。が、これは、その刑務所を臨時に拘置所代わりに使用したものであり、収監・服役ではない。(襲撃実行者は無論、起訴され、有罪判決を受け、受刑した)
 勝ち負け抗争では、無実の数千人が拘引され、その相当数が虐待・拷問を受けた。後遺症に苦しんだ人は少なくない。死亡したケースすらある。しかし、その補償はされていない。
 しかも、その後長く通説が罷り通り、無数の人々が単に「臣道聯盟員だった」「勝ち組だった」というだけで、誹謗され差別されてきた。そのまま殆どが故人になってしまったのである。無念であったろう。
 繰り返すが、通説あるいは認識派史観には、裏付けが無いのである。その論者は裏づけを明示できないでいるのである。しかるに書き放し、言い放しで、その無数の人々を傷つけたままでいるのである。
 これは笠戸丸以来の日系社会史上、最大の汚点である──。
 筆者は、この余りにも重大過ぎる通説の間違いを正さねばならない──と使命感の様なモノを感じた。しかし長く日系社会に深く滲み込んできた思い込みを修正することは(難しい。相当な抵抗がある筈だ)とも予測できた。そこで(せめて異説が存在することを、世に知らせることができれば……)という程度の期待を抱いて前に進んだ。
 ところが、サンパウロ新聞に連載中、同紙の内山勝男主幹から「君の記事、読ンでるよ。通説が問題だな。コロニアは近く百周年を迎える。一緒に何かやろう。これから時々寄ってくれ」という言葉を貰った。
 内山氏は勝ち負け抗争の時代から、同紙の編集長をしていた人である。当時、脅迫状を受取ったことがあり、机の引出しに拳銃を入れて警戒していたという。そういう人が、しかも九十歳を越していながら、柔軟に頭を切り替え、筆者の「通説否定」を評価してくれたのである。これには力づけられた。
 内山氏は暫くして急逝したが、『百年の水流』の出版時、邦字両紙がそれを大きく報じ、以後も関連記事をしばしば掲載してくれた。さらに、かつて臣道聯盟員や勝ち組だった人々、襲撃実行者たちに関する悪意のないニュースを流してくれる様になった。特に認識派のパウリスタ新聞と日伯毎日新聞を前身とするニッケイ新聞が、そうであるのは、極めて意義のあることと感謝している。
 やはり認識派色が強かった文協が『百年の水流』に、文芸賞をくれるという意外なこともあった。また一般読者の反響から、極めて多くの人が通説を見直していると感じた。
 二、三世の中に、通説に対し不快感や怒りを抱き続けてきた人が、少なからず居ることも知った。その現れとして、こんな事があった。
 ポ語版を出した直後のことである。偶々、勝ち負け抗争下の襲撃事件をテーマとした映画が、リオデジャネイロの一プロダクションによって、制作されていた。原作から判断すると、この映画の内容は、事件を臣道聯盟によるテロとして、構成される筈だった。それを問題視するポ語のメールが、筆者に幾通も寄せられた。発信者は臣道聯盟員の子供か孫であったかもしれない。
 筆者の友人の所にも同種のことがあり、彼は『百年の水流』ポ語版を、そのプロダクションに送付した。他にも同種のレクラマソンが多く寄せられたのであろう、完成した映画を観ると、臣道聯盟の名は無かった。
 同時期、サンパウロでは、イマージェンス・ド・ジャポン社の奥原マリオ氏が、1946年6月の脇山大佐襲撃事件をテーマとしたドキュメンタリー映画『闇の一日』の制作を完了した。三世の同氏が十年以上、事件の参加者・日高徳一氏と接触を続けた上で、仕上げた労作である。これも従来の偏向した通説に囚われず制作している。
 この作品はインター・ネットで公開されているが、2015年6月現在、検索数は2万7500回を超しているという。(つづく)