ホーム | 文芸 | 連載小説 | ガウショ物語=シモンエス・ロッペス・ネット著(監修・柴門明子、翻訳サークル・アイリス) | ガウショ物語=(39)=密輸に生きた男=《1》=強いものが支配する時代

ガウショ物語=(39)=密輸に生きた男=《1》=強いものが支配する時代

 その痩せた体はすで九〇歳に手が届こうとしていた。だが、イビロカイ川のほとりを拠点とする密輸クループの頭領だったジャンゴ・ジョルジの度胸はいまだに衰えを知らなかった。
 この向こう見ずなガウショは、生涯ずっと国境の広野を行き来して過ごした。真昼の日差しの下を、青白い月の光りの中を、夜の闇の中を、明け方の立ち込める霧の中を……。
 豪雨にあっても、猛烈な突風に吹かれても、浅瀬の位置を間違えることなく、近道を見失わず、分岐点に来ても道をまちがえて引返すようなことは決して無かった。
 その過敏な嗅覚で、放牧地を嗅ぎ分けた。こっちはアソイタ・カヴァロ の花が咲き匂っている、あっちはクローバー畑だ、これは地面を這うグァビローバの香り、そして、レモングラスの香りと言った具合だ。
 そして、聴覚で、こちらはヤマイヌの通り路、あちらは馬の蹄の音を消したり、蹄の下でパチパチはじけたりする牧草地、その向こうはカチカチの荒地、反対の方は砂丘だとかを聞き分けた。その上、味覚で休み場所を告げた。塩分を含んだ水のある場所、真水のある場所を泥や水ごけの味によって知っていたからだ。
 遠い昔の戦乱時代を生きた男で、イツザインゴの戦でジョゼ・デ・アブレウ将軍の率いる騎兵中隊に属していた。話が「勝利の天使」のことにでもなれば帽子を取り腕を広げて、さも遠くにいる尊敬する人に対するかのような態度を示した。
 喧嘩早く、それでいて、気前がいいときているから、いつも文無しだった。
 賭けトランプで勝って小銭をたくさん手に入れると、家の子供たちを集め、「ピ! ピ! ピ! ピ!」とひよこにでもやるように、それをばら撒いた。そして、アリのように集まって地面の小銭を拾う子供達を見て高笑いするのだった。
 気晴らしに犬をムチで打ち据えるのが好きだった。ただのムチではない。牛の肩から股間をねらうあの太いやつだ。それで情け容赦もなく打ち据える。捕まった犬はあまりの痛さで、身をくねらせ、声も出ない。そして、何とか逃げ出してから、キャン! キャン! キャン! と哀れな声で鳴くんだ。
 ときには豪華な晩餐会を催した。食事が終わりかけ、みんな酔いが回ったころ、突然、テーブル掛けの端を力いっぱい引っ張る。すると、皿からコップから空瓶から、食べ残しから、皿にのこった菓子のシロップから、何から何まですっ飛んで来るんだ!……
 そこで、おもむろに巾着をさかさまにして、その騒ぎを利用して法外にふんだくろうとする酒屋の主人の手に、金貨をくれてやった……。
 そう、飲んで騒ぐのが好きな男だった!
 それから何年かたって、その男の家に泊まったことがある。――今思うと気の毒な話だが!――
 やつは身を固めてまるで別人になっていた。それほど長い間、会っていなかったということになる。
 女房はまだピチピチしていて、愛想のよい女だった。子供は一人前の息子が三人、娘っ子がひとり。みんなから目に入れても痛くないほど可愛がられていた
 文句なしの美しい娘だが、家事が上手で、しかも手先が器用ときている。勉強もしていたから、町の娘らが着る、田舎の者の目にはおかしく見える流行の服も上手に着こなしていた。
 もう、婚約もしていた。
 ちょうど、わしが泊まったその夜は、婚礼の前夜で、花婿と嫁入り道具の到着を待っていた。
 翌日、花婿が到着し、一同は喜びいっぱいで婚礼の支度にとりかかった。わしもぜひと招待されて、披露宴に出席することになった。
 次の日の早朝、ジャンゴ・ジョルジは娘の嫁入り道具を取りに行くといって出かけた。
 どこに行ったかって……それはわしには分からんがね。わしの考えでは、よそへ取りになど行かず、昔風の慣わしどおり家で用意するのがいいと思うんだが、まあ、そのあたりは、それぞれ個人の好みってわけで……。
 待っている間、マテを飲んだり、丸焼きにする豚を屠るのを手伝ったり、皮つき焼肉の肉をさばいたりしていた。
 このリオ・グランデというところは、昔から、グアラニー戦争のころからだが、いつも密輸が盛んな土地だった。
 もっとも、どちらかといえば悪意のないもので、敵の哨戒兵をからかうのが面白かったからだ。群れをなして馬に乗ったガウショが、ポンチョをなびかせてはウルグアイ側に侵入して、馬を疾走させる。群れから若駒をより分けて、残りは逃がしてしまうんだ。無論、向こう側だって負けてはおらん。同じことをやりかえしたさ。次は牛だ。牛の群を駆けさせる。暑さでくたばった牛は見捨てて帰ってくる。
 これはスペイン人への嫌がらせで、彼等もまた同じことをやった。サンタ・テクラのセーロ・ラルゴやアエドなどという国境地帯の哨戒兵らの目をくらますことだけに明け暮れていた……そのあたりが最も肥沃な平原だったからだ!
 やがてミッション地方の戦いが始まった。政府は開墾地として土地を分割し始め、この無人の平原に誰彼が住みつくようになった。彼等は小さな城主よろしく、それぞれ自分の領地を守らねばならなかった。手持ちの銃器と弾丸、三日月槍、短刀などで身の危険を凌がねばならなかったのさ!……
 強い者が支配する、そんな時代だった!……ガウショたちは馬と山刀だけを頼りに自分の土地を守った時代だったのさ!……(つづく)