また奥原氏は、臣道連盟や勝ち組の人々が受けた迫害を、州の真相究明委員会に持ち込んだ。その結果、州議会で公聴会が開催され、委員会が、被害者と日系社会に謝罪するという成果があがった。
さらに、6月6日、旧DOPSの本部を改装したメモリアル・レジステンシアで行われた『闇の一日』の上映会では、感嘆すべき出来事があった。脇山大佐の親族である京野ヨシオ氏(ブラジル陸軍退役大佐)が、襲撃者の日高徳一氏に歩み寄り温顔で話しかけ、次いで、こう言ったのである。
「(怒りや恨みは)水に流します」
映画を通じて、日高さんの善良な人柄や脇山大佐の遺族に対して抱く痛切な思いが伝わったのであろう。
また、最近では一般の二、三世の間でも、通説を見直す動きが広まっている、と聞く。筆者の友人池田マリオ氏(元連邦警察デレガード、三世)も熱心に研究、県人会の集りなどで意見を発表している。
2008年の移民百周年の折は、ブラジルと日本の新聞、テレビが多数、特集記事や特別番組を企画・制作した。日本のメディアの取材は、以後も余波の様に続いている。それらの作品の中で、勝ち負け抗争は主要なテーマとして扱われている。
襲撃事件の参加者でサンパウロ市内に住んでいた山下博美氏は、その後故人となったが、生前、「たくさんの方が取材に来られました。日本からの方は皆『百年の水流』を持っていました。中には、紙面を縮小してコピーし、小さな本にして持っていた人もいました。本が重たかったからでしょう」と、笑いながら話していた。
日高徳一さんは遠くマリリアに住んでいるが、やはり取材のための訪問が多く、今も絶えない。筆者も記事作成や番組制作の協力を求められたり、取材を受けたりした。
そうした中で筆者は、そのブラジル、日本のメディアが、勝ち負け抗争を、どういう姿勢で報道するか──が常に心配であった。それ以前は、通説によって汚染された偏向報道が多かったからである。が、百周年以降は──作品の全てを読み観たわけではないが──その偏向ぶりが相当正されていると感じている。ただ事実関係に於ける間違いが未だあり、それを正して行くことが今後必要である。
ちなみに、筆者が関った日本のメディアでは、共同通信が実に熱心に取材していた。静岡新聞、産経新聞、朝日新聞が大きく紙面を割いて報道した。特集を組んで、記事を連載したところもある。熊本放送はテレビ番組『ブラジルの勝ち組』(サンパウロ新聞企画部協力)を制作、TBSを通して全国に放映した。
NHKは、上下50分ずつからなる番組「遠い祖国 ブラジル日系人抗争の真実」を2014年8月の終戦記念日に放映、その後再放映した。この番組は、日本のテレビ番組に贈られるギャラクシー賞の選に入ったそうである。(産経の記事に関しては、後で、もう一度触れる)
ともあれ、総合的に判断すると、日系社会は勿論、ブラジル人の間でも、そして日本でも、勝ち負け抗争に関する見方は、大きく軌道修正されつつある。これは画期的で、極めて貴重な歴史的進展である。情勢がここまで動くとは、筆者は思ってもいなかった。多くの方々の良識がこういう成果を齎してくれた。これは感動ですらある。
一方で、筆者は通説の信奉者からは強い反論があるだろうと予測、それに応じる準備もしていた。論争は歴史研究の常である。ところが、反論と言えるほどの内容のあるモノはなかった。代わりに、常識では考えられない異常な言動が筆者に対してとられた。
これについては、すでに一度──その他の問題も含めて──ニッケイ新聞で批判文を書き、関係者の釈明を求めた。が、釈明は無かった。内一人は事前に「書いたら反論する」と高言していたが、しなかった。釈明、反論が無いのは彼らが皆、筆者の批判を否定できず、自分たちの敗北を認めたことを意味する。
「異常な言動」というのは、移民百周年記念協会の執行部が、同協会でつくった『ブラジル日本移民百年史』の編纂の最終段階で、ヘマを犯したことに始まる。ヘマとは、編纂委員会が混乱を続け、編集を引き受ける人間が居なくなり、窮し焦って、たまたま事務所に立ち寄った人間にピンチ・ヒッターを軽率に依頼した──という事実である。相手が歴史研究家ではないとも知らず(もの書きだから出来るだろう)と判断したようだ。(つづく)
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