ホーム | 日系社会ニュース | 〃移民の父〃の遺徳偲ぶ=上塚周平80回忌法要=120人が墓参、焼香=「葬式の時は道路が渋滞に」
上塚周平記念公園での記念撮影
上塚周平記念公園での記念撮影

〃移民の父〃の遺徳偲ぶ=上塚周平80回忌法要=120人が墓参、焼香=「葬式の時は道路が渋滞に」

 「ブラジル移民の父」上塚周平(1876―1935、熊本県)は1935年7月6日、プロミッソン(当時、第一上塚植民地)の地に眠った。今月5日、同市で『上塚周平80回忌法要』が行われ、ノロエステ沿線から彼を慕う多くの人が集まった。また在聖日本国総領事館の中前隆博総領事にとっては今回が初の移住地訪問となり、市民から熱い歓迎を受けた。

 上塚周平は東大法学部を卒業して移植民事業を志し、皇国植民会社に入って水野龍社長の下、笠戸丸で渡航した。農業労働者として搾取される日本移民の状態を見かねて、自作農による植民地建設を思い立ち、1918年に上塚植民地を創設した。質素な生活を貫き移民と共に生きた。
 プロミッソン市役所(アミルトン・フォス市長)、同日伯文化体育協会(岡地建宣会長)、同日系運動連盟(吉田ダニエル会長)の3団体が共催した同法要は午前8時から共同墓地で行なわれた。肌寒い曇り空にも関わらず約60人が集まり、先人への思いを馳せた。
 中前総領事、フォス市長、熊本県文化交流協会田呂丸哲次会長がプロミッソン日本語校生徒から手渡された大きな花束を墓前に添え、リンス西本願寺の岡山智浄住職による読経のもと、焼香が行われた。午前10時からは上塚周平記念公園に場所を移し、計120人で公園中央にある仏壇に向け、再び読経のもと焼香を行った。
 あいさつで中前総領事は上塚周平の功績を読み上げ、「移民の歴史がこれからも永く受け継がれていくことを願っている」と語り、フォス市長は「正直で勤勉だった上塚さんのような日本人がいたからこそ、この町が作られた」と称えた。
 ノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長は「日系社会のために今回のようなことは大変に重要である」とし、田呂丸会長は「上塚先生と墓を守るプロミッソンの方々にはいつも感謝している」と県人の声を代弁した。岡山住職は法話で「今日は多くの人が集まったが、子供が少ないのが残念。後に続くものにも歴史を伝えていこう」と説いた。
 上塚と直接交流があった〃上塚周平の墓守〃安永忠邦さん(94、二世)に上塚との思い出を聞くと、「先生が亡くなる直前に私が日語校の生徒を代表して病室に呼ばれ、『頑張ってくれよ』と手を握られたのを覚えている。先生からは人のために何かすることを学んだよ」と懐かしんだ。
 また「80年前の葬式の時は道路が渋滞になって、式に間に合わなかった人が大勢いたほどだったよ。今日も沢山人が集まって先生も喜んでいると思う」と喜んだ。
 法要後は文協婦人部が手作りした炊き込みご飯や煮物、漬物に舌鼓を打った。今回が初の移住地訪問になった中前総領事に感想を聞くと「温かく歓迎してくださり、大変感激した。総領事としての役割を改めて確認し、これからもできる限り訪問を続けたい」と決意を新たに語った。


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 初の移住地訪問となった中前隆博在聖総領事。上塚周平記念公園で熱心に市民の声に耳を傾け、法要後も人知れず仏壇に近づき静かに手を合わせる姿が印象的だった。急きょ予定になかったプロミッソン市にある日系最初の一つ、クリスト・レイ教会への視察も行い、関係者からは喜びの声が上がった。8月には平野植民地、9月にはアグア・リンパでも100周年が行なわれる。コロニアからは前任者同様の〃活躍〃が期待されているようだが…。