週1度の練習後、コーラスのメンバーが「最近は本物が少なくなった」と話していた。持ち寄りの昼食前だったので話題の中心は食材だったが、人生の先輩達が「見掛けはきれいだが味が今ひとつ」とか「~風と書かれているが本物とは違う」と話す様子は興味深い▼昔は1週間持たなかった品が何週間も持つのも、保存料などで操作して本来の姿を失った例だ。添加物や人工調味料で万民好みの味を作り出し、着色料でおいしそうに見せるといった操作が体に及ぼす影響も心配だ▼平均余命が伸びた日本でも、第2次大戦を生き延びた人が亡くなったら平均余命は短くなると言われており、「昔の人は本物を食べていたから健康だった」との言葉には反論の余地もない▼だが、「本物」が少なくなったと感じる例は食に限らない。技術や科学は進んだのに昔より耐久性が低い電化製品や、何かあれば言葉を変える政治家、目先の利益しか考えず汚職に手を染める企業家もその中に入る▼1964年、不況のために松下電器の製品が売れず、松下幸之助が赤字経営に陥った系列会社の社長達と期限を設けない会議を開いた事がある。会期を限らなかったのは徹底的に話しあうためで、互いが責任を問い、不満が噴出。松下糾弾大会となった会議は3日目、松下が頭を垂れて「松下電器が悪かった」「誰が悪いではなく心を入れ替え、出直したい」と涙ながらに詫びた時、流れが変わった▼松下が営業本部長代行として現場復帰し、その決意を実践した時、松下電器は回復へ向かったという。責任を問う会議の真っ最中のブラジルが回復に向かう鍵を握り、「血の小便を垂れる」ほど苦闘する政治家は誰だろう。(み)