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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(1)

 もう一つの連れはどうしたきりぎりす一茶

 妻の千恵に先立たれた太一は、命あるものが避けることのできない生死の離別は、世の中の常と理解していても、この度の事はなかなか心底から納得することができず、―女房はおれより五歳も下だから、あれが残るだろう―と、楽天的な気持ちと安楽な日々になれて、当分はこの現状がつづくものと安心していたのが、つい足をすくわれた体になった。
 千恵がいなくなったことにより、たちまち太一の日常に狂いが生じてくるというのではないが、当然としていたものが無くなってみると、おれたち夫婦の営みは永い夢だったのかという虚しい気持ちは、いくら日がたってもいっこうに収まりそうにもない。太一は自分の身辺の変化で、以前には気にもとめなかった、知人の誰かれを思いうかべてみると、半数はやもめであるし、夫婦でいても再婚の人のおおいのを知った。
 過去のコロニア(注・日系コロニアの略。日系社会)では困難な開拓当時、風土病にかかり家の柱とたのむ者を亡くした例は語りつながれていて、太一の嫁の縁者にもそんな人があった。四十代でやもめぐらしになり、再婚もせずに子供を育てあげた老人で、息子、娘からは大事にされていたが、身辺の寂蓼は察するにあまりあるようであった。
 その老人は小地主ながら家産もあったので、なんとかやってこられたのであろうが、太一はその頃の自分の境遇を回顧すると、背筋に寒気のはしる思いになる。事実、千恵の身の上に生命の危機があったのも、二、三度ではなかったが、家が破滅せずにきたのは彼女の運のつよさというか、それらを支えていたのは、ひとつの悲願が彼ら夫婦にあったからである。
 それというのは、父の重圧の下では不本意な生き方しかできぬと懸念して、分家を申し出たが許されず、太一は無一文で家を出ることになった。その時、父からあびせられた悪罵は忘れることはできない。せめて人並みになって、弟妹たちから後ろ指をさされないだけの暮らしになりたいという望みであった。苦節十年、なんとか独立のめどがつきかけた年、太一は心臓をわるくした。動けば心悸がたかぶるので, 荒い仕事はできなくなった。
 そんなわけで義父の世話になって、サンパウロ市近郊のM郡に、三域の土地をもとめてうつってきたのであった。R村での二十年。太一夫婦も老いたが、子供たちはみんな成長して、長男の丈二はおなじ村の娘と相愛の仲になり結婚した。それをしおに太一は世帯を息子たちに渡した。それから数年ののち、都会ぐらしの嫁の縁者から、―食料品店の売り物のよいのがあるが、貰わないか―、とすすめられたという。丈二は乗り気になり、太一も賛成したが、千恵は今日になるまで苦労したので用心ぶかくなり、とくに家族が分かれて暮らすのに反対したが、店の上が住まいになっているので、みんなで住めるときいて納得した。
 都会ぐらしをするようになってからも、千恵は(丈二のママエ) といわれて、みんなに人気があった。日曜日にはきまって何人かの客はあったし、孫たちも友達をつれてきた。千恵はゆっくりとも寝ておらず起きだして、お客にだす寿司とか饅頭をつくるのであった。
 そして一日が暮れると、
「ああ、今日はとても疲れた」
溜息をはいてぐったりするので、
「そんな仕事は良子(よしこ)にまかしとけ、いつまでも動ける歳じゃないぞ」
太一がつよくでて意見をすると、
「あれも休日ぐらいは楽させてやらなくては」
 そう言って発病するまでやめようとはしなかった。