ホーム | 文芸 | 連載小説 | 宿世(すくせ)の縁=松井太郎 | 宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(4)

宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(4)

 太二はすぐにそれは血便と直感した。それもかなりの量のものが、時間をへて排泄されたものと判断し、さっそく店に電話して息子をよんだ。
 入院した千恵は点滴の注入はうけていたが、近日にでも手術をうけられる様子はないようであった。丈二が係の医者にきくと、ーいま検査しているところだーと答えただけで、詳しくは説明してくれなかったという。太一が見舞いにゆくと千恵は案外と元気で、彼が軽口をたたくと、わらって応じたほどなので、食習慣の変化でおきた胃潰瘍なら、ゆっくり養生すればよいぐらいの、素人判断をしてかえってきた。ーここの食事は喉をとおらないーなどと病人の苦情もでたので、(千恵は別に思うことがあってのことかもしれなかった)丈二はママエを一時家につれて帰ることにした。太一は退院の許可がでたものとばかり思っていたが、そうではなくて、後日、娘の話で知ったのだが、千恵はすでに医者から見放されていたのだろう。
 助からない病人でも死ぬまえには元気づくと、一般にいわれているが、千恵は帰宅すると、わが家という安堵もあつてか、すぐにコップ一杯のつめたい牛乳をのんだ。千恵が産褥について太一が世話をしてから何年ぶりのことか、奥地にいた頃千恵が四人の子を生み、太一が世話をしたものだった。養生も充分にせず畑にでるような無理もしたが、とくにさわることもなく過ごしてきた。千恵も老いたのだ。つぎつぎとこのように病が重なってくるのを、干恵はもうじぶんの行く先を予知して、口にはださなくても、形見わけのつもりでレース編みをしているのではないかと、太一はそっと妻を横目にみることがある。
 太一は昼間から風呂をたてて千恵に入浴をすすめた。
 彼女は無類の風呂ずきで、一日も欠かしたことはないのに、十日の入院だったので、待っていたように起きようとするが、見た目よりは弱っていてひとりでは立てられなかった。太一は妻の腋の下に手をまわし、抱き抱えて浴室にはこんだ。寝間着をおとし、流し台にすわらせて、石鹸をぬり泡だて湯をながし、抱きあげて風呂桶にしずめた。ーああー、よい気持ちねー千恵はつぶやき眼をとじて、新湯の肌にしみとおる感触をたのしんでいる様子であったが、自分の身のなりゆきを、すでに予見していたのではないだろうか。
 病人に長湯はわるいときいていたので、太一は、
「もう、よいだろう」
千恵をうながし、抱きあげて風呂桶からだそうとすると、湯につけたときとちがってかなり力のいる仕事になった。
「転んだらたいへんだぞ、おれにしっかりつかまっていろ」
太一は自身に言いきかすように口にだした。
 千恵はパンツだけの夫に接吻でもできるほどに顔をよせ、両手を回して太一の首にしがみついた。太一は妻の尻に手をいれて持ちあげ、風呂桶の縁から外にだし、まず流し台にすわらせた。これで彼の役目はすんだが、太一の人差し指が妻の臀部にふれているので、なにか惜しむ気持ちになりその感触をたのしんだ。このような性的な接触は彼ら夫婦のあいたで、もう何年もたえていたものだった。
 千恵は片手で夫の肩をたたいた。太一は恩わぬ儲けものをしたので、つい冗談がでた。
「こんな世話なら、日に何度でもしてやるぞ」
千恵は仕様のない人だという意味か、わびしい笑いをみせただけだった。
 夕食は太一がととのえた。粥に煮魚、豆腐の味噌汁など、千恵は機嫌よくたべて寝についた。これで収まってくれれば、下血も止まっているというし、病人もしだいに回復にむかうだろうと、楽観して横になった。ところが夜半に太一は千恵によびおこされた。吐きたいと訴えるので、浴室から金盟をもってくると、千恵はどっと一立もの醤油のような液をあげた。異様な臭いがひろがった。