「歴史上、たった一つの動作で満員のマラカナンスタジアムを静まらせた人間が3人だけいる。ローマ法王ジョアン・パウロ2世、フランク・シナトラ、そして俺さ」
サッカー、元ウルグアイ代表選手、アルシデス・エドガルド・ギジャ(享年88)が16日、心臓発作で帰らぬ人となった。奇しくも1950年、ブラジルW杯決勝リーグ最終戦、ブラジル対ウルグアイ戦でウルグアイを優勝に導くゴールを挙げた日から、ちょうど65年後の事だった。
件の名言は、ローマ法王にとってもフランク・シナトラにとっても「親切な」物言いとなった。
同列にたとえられた2人は、小柄なウルグアイ人ストライカー、ギジャほど、歴史に名を残さなかったからだ。
マラカナンは1950年、W杯のために誕生し、ある意味、W杯で死んだ。ギジャのシュートがブラジルのゴールキーパー、バルボーザと左ポストの間を破って以来、〃マラカナッソ〃の亡霊が誕生した。
伝説の一戦を戦った選手の中で、ギジャは最後の生き残りだった。12年には交通事故で重傷を負ったが、それもドリブルで交わすかのごとく、生き残った。
ギジャは、2014年ブラジルW杯の組み合わせ抽選会にも参加した。同大会において、ブラジルの新たな悲劇の目撃者にもなった。
母国最大のスポーツの栄光の象徴でもあったギジャは、最晩年をウルグアイの首都、モンテビデオから20キロ離れたラス・ピエドラスという街で静かに暮らしていた。
14年にはウルグアイ最大のスタジアム、モンテビデオのセンテナリオ・スタジアムで行われた、伝説の試合を描いたドキュメンタリー映画「マラカナン」披露会に訪れ、満員の観衆から、マラカナンで19万人のブラジル人が沈黙したために聞かれる事のなかった〃ゴール〃の大歓声を送られた。
「50年W杯を振り返るのは良い事だね。特にあの時代を知らない若者にとっては」とギジャは語った。
ギジャが、スッド・アメリカ、ペニャロール、ACミラン、ASローマ、ダヌービオでプレーしていた事、イタリア代表でもプレーした事を知る人は多くないだろう。
彼が何歳まで現役を続けたかに至ってはほとんど誰も知らないだろう。実際ギジャは、42歳までプレーを続けた。
ギジャはあの1950年、7月16日の午後4時38分の出来事によって世界中に知られている。たった6秒間のドリブルからのシュートにより、その後、無数のウルグアイ人がギジャの名前「エドガルド・アルシデス」と名づけられた。(17日付フォーリャ紙などより)