1997~2000年までリオ市長をつとめたルイス・パウロ・コンデ氏(80)が21日未明、入院先のリオ南部ボタフォゴのサマリターノ病院で前立腺癌のために死去した。22日付伯字紙が報じている。
国立ブラジル大学建築科(現・リオ連邦大学建築科/UFRJ)で学んだコンデ氏は、建築業界では有名な存在。1974年にブラジル建築研究所の所長、1990年にはUFRJの都市開発科のコーディネーターをつとめた。
93年に当時リオ市長だったセーザル・マイア氏のもとで都市開発局長をつとめたコンデ氏は同市長に気に入られ、96年10月、同氏の推薦により自由前線党(PFL、現在の民主党・DEM)からリオ市長選に立候補して当選を果たした。
リオ市長時代には、得意の建築を活かし「リオ・シダーデ」という都市計画のもとでファヴェーラの都市化に成功するなど功績をあげた。
再選を狙った2000年の選挙で敗れたコンデ氏だったが、2002年、元リオ州知事のアントニー・ガロチーニョ氏の夫人、ロッシーニャ氏のリオ知事選出馬に伴い副知事候補となり、同氏の当選でそのまま副知事となり、2006年までつとめた。
所属政党もロッシーニャ氏に追随し、03年までブラジル社会党(PSB)、2004年に民主運動党(PMDB)に共に移籍した。
コンデ氏の死を受け、PMDBの後輩にもあたるリオ市長のエドゥアルド・パエス氏、リオ知事のルイス・フェルナンド・ペゾン氏、下院議長のエドゥアルド・クーニャ氏らが次々と追悼文を寄せている。