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アルゼンチン移民史の第一人者、大城徹三氏逝く

アルゼンチン移民百年祭の副碑として建てられた結核病死者も含む先没者の慰霊碑(致祥園、宮地かつ子作、嶺井定之揮毫、『日本人発祥の地コルドバ』より)

アルゼンチン移民百年祭の副碑として建てられた結核病死者も含む先没者の慰霊碑(致祥園、宮地かつ子作、嶺井定之揮毫、『日本人発祥の地コルドバ』より)

 面識はないが、深く哀悼の意を表したい人物がいる。《アルゼンチン移民史の第一人者》亜国コルドバ市在住の大城徹三さんだ。『らぷらた報知』によれば、転倒して頭を打ち、5月15日に息を引き取った。享年88。1927年1月30日、沖縄県国頭村生まれ、父吉義の呼び寄せで1949年に飛行機で亜国戦後移民第1号として渡った▼父吉義さんは「らぷらた報知」が47年に創立した時の設立メンバーで、徹三さんも同通信員として長い間、健筆を揮った。コルドバ日本人会幹部だけでなく、78年には会長に選ばれ3期連続務めた。通信員をしながら同市の移民史を掘り起こした功績には素晴らしいものがある▼1997年にはその集大成として亜国移民史の金字塔『日本移民発祥の地コルドバ』を出版した。同書の冒頭には《消え行く移民史、風化して行く先駆者の尊い体験談、数少なくなった一世移民を取り巻く環境は厳しく、そのまま放って置けば幻の人と消え去ってしまう。先人達の悪戦苦闘の足跡等、さまざまの移民像を記録に綴り後世に残す義務を担うのが、今を生きる私たちの使命である》と発刊の動機を認めている。まったく同感だ▼それを実践し、南米最古の日本人の記録である「1596年の日本人奴隷フランシスコ・ハポン」を探し出した功績は大きい。コラム子もそれに触発されて連載『日本人奴隷の謎を追って』(09年)を書いた。その他、大城さんは笠戸丸以前の1886年入国の亜国移民、牧野金蔵の資料も発掘した。『コルドバ』最終章のコスキン結核療養所《悲哀史》は涙なしには読めない。襟を正しつつ心から冥福を祈りたい。合掌。(深)