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どこまで遺伝、どこから環境=日本人の外見を特徴付けるものは?=駒形 秀雄

 ブラジルは多くの民族の入り混じった国と言われています。街でメトロなどに乗ったりすると手持ち無沙汰でもあり、つい周りの人達の外見や容貌に目が行きますが、自分と比べて「こちらとは大分違うな」と認識させられることになります。
 体格で言えば一般にガイジン(ブラジル人)の方が背が高い、胴体に比べ手足が長くスラリとしている。容貌について言うなら、ガイジンは鼻が高く目が引っ込んでいるが、大部分の日本人の外見はその逆です。
 もし、学者先生が言うように、人類が何万年か前に同じ祖先(サル?)から出てきたものなら、どうしてこのような「差」が出てきたのでしょうか? 
 また、現在の私達「日本人の形」はどのようにして出来上がったのでしょうか? 姿形の違う「ガイジン」の中で暮らすJAPONES、日系人としてはそこが知りたい、興味深い、ところです。
 丁度いま景気の方はパッとせず、面白い話もない。ここは気分転換ということで、こんな所を皆さんと一緒に考えてみましょう。

日本人と欧米人、どこが違うか?

 日本人(日系人)と欧米系人(白人、コーカソイド)の外見を比べると、前に挙げた大きな点の他に相当な相違点があります。(表1)(この相違が「お前はJAPONES GARANTIDO、俺達とは違うよ」と指摘される原因でもあります)
 このような外形の相違がその食物とか住む土地の気候(環境)によってもたらされたものか? まずこの点について検討してみましょう。

身長の違い

 徳川期から続いた明治初期の日本人の身長は低く、150センチ前後でなかったか、と言われています。それが大正、昭和の、国の経済発展に伴い栄養も良くなったのか、戦前男子平均が160センチくらい、欧米式食物が入った戦後を過ぎて、現在の日本人男子の平均身長は170センチ位だそうです。
 ですから、身長の高さは環境(食べ物、生活様式)に相当な影響を受けているものと考えられます。私も1960年代、ミナス州の内陸部を訪問した際に、胴体の割に手足の短い白人系の人に多数出会いました。
 それで「人間は栄養が悪くなっても生存に関わる胴体頭部は保護されて普通に発育する。手や足などは栄養が足りないとまず発育不十分となりうる」という説を思い出しました。但し、私が大学のときに(法科の)先生が余談として「日本人は他の種族に比べ、進化して早くから立ち上がった。
 また、原始時代に比べ手足の力を使うことが少なくなった。それで手足が(サルから)進化して短くなったんだ」と言うのを聞いています。皆さんはどちらの説を支持しますか?

表1

表1

頭や顔の違い

 一般に日本人は短頭型、欧米人は長頭型が多いと言われています。これは人を横から見て前後に長いのか長頭型、横に長い(扁平)のを短頭型と呼びます。ブラジル東北地方に多いカベッサ・シャッタ(CABEÇA CHATA)は日本人と同じモンゴロイド(蒙古型、アジア系)だからと言われます。
 また、日本人は欧米系に比べてアゴがガッシリしていて、前から見ると四角顔に見える。一方、欧米系はアゴが細くなって下に伸びて見えます。これは太古、日本人(モンゴロイド)は木の実や穀類など固いものを噛んで食べていたので、アゴが丈夫に発達したのだと言われています。

鼻や目の違い

 では鼻はどうか? 人間が進化とともに脳が大きくなり、それがハナを前面に押し出して高くなったとか、乾燥地で吸気に湿気を与えるためハナの回路を長くした、とか言う説があります。
 顔を見て違いが目に付く(目)はどうでしょう。欧米人は目が引っ込んでいて、日本人はほぼ顔の表面に同じで平面的です。ハナと目についてはどうも納得のいく「差」の説明が見当たりません。尤も上に述べた大学の先生の話では、「太古、地球の地軸がずれていて、日本は寒く、雪や氷が多かった。この反射がまぶしいので日本人の祖先はいつも目を細めていた。それが今に至るも日本人の目が細いことの説明だ」でした。皆さんはこの説明をどう思われますか?
 いずれにしても、外見の違いを全て環境(食べ物や気候)だけで説明するのは難しいようです。ブラジル式生活をした三世、四世でも両親が日系人の場合、外見は日本人で変わりません。
 アメリカに居る黒人が150年を過ぎても(混血しなければ)色が白くなったとは聞いたことがありません。となるとやはり「子は親に似る。遺伝のせいではないか」となりそうです。では「今のような日本人を作った遺伝子(DNA)は何処から来たのか、どのようにして現代の日本人の外見が出来上がってきたのか?」。調べてみたくなりますよね。

表2

表2

日本人はどんな人種か?

 大戦前の日本では国民意識高揚のためか、「日本人は一億一心、同じ家族のような同一民族で、祖先は『天孫降臨』した素晴らしい民族だ」という風に教えられました。
 しかし今日、それは『神話』であって、科学的根拠のある話ではないとなっています。日本人の起源は大昔に中央アジア方面から日本列島に移り住んで来た「縄文人」や「弥生人」で、それに少数の南方系アジア人が加わって出来上がったというのが本当でしょう。
 では日本人の根幹を形作った「縄文人」「弥生人」とはどのような身体的特徴を持った人達だったのでしょう。調べてみましょう。

縄文人と弥生人

 これは別に縄文人という人種が居たわけではなく、沖縄とも関係はありません。今から1万1千年前から2300年前頃を「縄文時代」と呼びましたが、この時代に日本へ移って来た人達を後世の人達が「縄文人」と名付けたのです。
 他方、「弥生人」も人種の名前ではなく、今から2300年前から1700年前ころの「やよい時代」に日本に来た人達に付けられた名称で、「渡来人」とも呼ばれています。
 縄文人は主として樺太あたりから北海道を経て本州に入りました。弥生人は朝鮮半島から対馬、北九州を経て奈良、関西方面に移り住みました。
 このほか、東南アジア方面から少数の人達が島伝いで、海を渡って来たとされています。それで縄文人、やよい人(渡来人)の身体的特徴を、残された骨の化石や遺跡などを元に調べてみると(表2)の様に相当に違っていることが分っています。
 このような身体的特徴に基いて、一時日本では友人などの間で「あんたは縄文系、あの人は弥生系」などと判別することが流行ったそうです。で、貴方は「何系」に見えますか? チェックしてみるのも面白いですね。
 但し、外見では縄文系でも、体内のDNAは弥生系の因子があり、孫の代などに違った系統の外見が出ることもあることは理解必要です。2千年後の日本人を大昔に入った2系統だけで区分するのは妥当でないことは理解出来ますよね。
 現代の日本人は一説によれば、2系統の混血が75%、弥生系が20%、縄文系が5%なのだそうです。

日本人の原型はいつ、どこで出来たか?

 写真で見て分るように縄文、やよいの2系統ともアジア(モンゴロイド)の顔であり、西欧人(コーカソイド)の顔ではありません。現中国人も、朝鮮、蒙古人も全てモンゴロイド系でコーカソイド(白人)の顔をしていません。
 と言う事はこの種族の遠い時代に地球上のどこかでこのモンゴロイドの祖先の形ができ、その集団がユーラシア大陸(ヨーロッパ/アジア)の西から東へ移って来た、その一部が日本へ渡って来たのでは、と考えられます。ここまで来ると、「ではその先祖集団の誕生は―いつ? どこで?―」と知りたくなります。
 しかし、この辺になると、どうもこれはと言う説は無いようで、チベット人は日本人にそっくりだとか、カンボジャやビルマに日本人の祖先が居たなど色々な説があります。
 以前、日本から来た専門家らしい人にこの質問をしたのですが明確な説明はありませんでした。「モンゴロイドが生まれたのはユーラシア大陸のどこかで、時期は何万年前ころでないか」程度が現在考えられる答えです。更に、この様な外見、体型の変化がそれまでと違った遺伝子(別のタネ)によるものなのか? 或いは環境(気候や食べ物)の変化によるものなのか? これもまた分りません。皆様のお考えはいかがでしょうか。
 モンゴロイドの旅はさらに進み、オホーツク海を渡って、北米、南米まできて先住民インディオになったわけです。〃移住者の大先輩〃といいますか、壮大な移動ですね。ブラジル在住の日系の方がたには学識豊な方が沢山居られます。この辺の「なぞ」について御開示頂けたら、大変ありがたいと存じます。ご意見はこちらへ(komagata@uol.com.br