<交流協会研修生 新春放談会>ブラジルで思う事
二〇〇一年四月八日に来伯した日本ブラジル交流協会第二十一期研修生。二十一世紀初の研修生として、ブラジル各地で研修に励んでいる。失業率五・四%と、不況のどん底にある日本を離れ、彼らはブラジルに何を求めに来たのか。また、これまでの研修生活で、ブラジルや日系社会に何を感じ、何を見出したか。新世紀初年も終わりに近づいた師走の十二月九日午後二時、来年「年男」、「年女」を迎える五人の研修生を本社に招き、藤本卓郎本社記者を司会に座談会を行った。「若駒」たちがそれぞれのブラジルを語る。
[su_note note_color=”#eeeeee” radius=”0″]-出席者-
野上剛君(二十三歳、摂南大学四年、トラッドブラス株式会社研修)。
高山裕司君(二十三歳、帯広畜産大学卒、西村農工学校研修)。
吉村徳雄君(二十三歳、神戸学院大学四年、スザノ金剛寺学園研修)。
中村英恵さん(二十三歳、日本大学卒、戸田建設株式会社研修)。
笠井つばささん(二十三歳、関西大学四年、サンベルナルド・ド・カンポ市役所研修)。
司会=藤本卓郎(二十三歳、京都外国語大学卒、ニッケイ新聞社研修)。
司会 日本ブラジル交流協会第二十一期研修生の皆さん、本日はお忙しいところをお集まり頂き、ありがとうございます。さて、皆さんが今年四月に来伯して、八カ月が経過しました。右も左も分からなかったブラジルの生活にも慣れ、研修先や生活の場でそれぞれのブラジル、日系社会が見えてきたと思います。そこで交流協会生の中でもブラジルで「年男」、「年女」を迎える若駒の皆さんに、「ブラジルを体験して」というテーマを基本にして、忌憚無く、本音で語ってもらいたいと思います。ではまず、なぜ皆さんがブラジルを、海外を目指したかについて話してもらいましょう。
野上 僕の場合、ブラジルに行こうと思った理由は、何も無かったから。
司会 何も無かった?
野上 そう。別に部活の水泳も、勉強も中途半端で、自分自身やりたいことが何も無かった。
中村 で、どうしてブラジルだったの?
野上 アルバイト先の先輩がこの制度でブラジル体験していて、ブラジル行きを誘われた。きっかけはそれだけ。
司会 じゃあ、別に海外だったら、ブラジルじゃなくても良かった。
野上 そうだね。「ブラジルでこれがしたい」って意識も無かったし。というか、何も無い自分がこのままではとても小さなものになると感じていて、それを取り除くために、本当に自分がやってみたいことをブラジルに探しに来た。
就職前の体験研修
高山 僕は昔から海外行きたかったけど、具体的にどういう手段で、どういうことをやりたいのかが見えてなかった。留学するほど勉強したくなかったし。もっと色んな地域を巡って、生活を通して外国を見たかった。
司会 なるほど。それで交流協会を選んだ。なにしろ、テーマが『働きながら学ぶ』だからね。
高山 そう。あと、僕の通ってる大学は農学系で、卒業後の進路は教師とか農業のコンサルタントとか、大体決まってるんだけど、僕は本当にそれで食べていきたいのかを考えた。狭い世界だけで進路を決めるより、もう少し広い世界で自分を見てみようと思ったわけ。
司会 そうですか。卒業後の進路は将来に大きく関わりますからね。笠井さんはどうですか。
笠井 私は、大学三年の頃に、友達が就職活動に追われている姿を見て、『これから就職というより、何か他にやりたいな』と思った。そうしたら交流協会のポスターを見て「ビビッ」と来た。
高山・野上 あっ、俺も!!(笠井、高山、野上笑)
笠井 そう。それで応募締め切りまでブラジル行きを考えて、思い切って申し込んだ。
司会 そんなに考えたんですか。じゃあ、三人は別にブラジルでしたいことがあったのではなくて、とにかく人と違った経験がしたくて渡伯したわけですね。(三人うなずく)
中村 そうかー。私の場合は違うな。私は目的があってブラジルに来た。大学で建築について勉強してきて、アジアやヨーロッパの建築物は実際に見たり、勉強したりした。でも南米は興味があるのに、学校にも資料が無くて。だからブラジルの建築現場で勉強してみたいと思ってこの制度に応募した。
司会 中村さんには先の三人と違って、明確な職業意識があったということですね。
中村 うん。建築士になってもいいかなと思ってるし。
吉村 僕は野上たちの動機と似ているな。きちんと何をやりたいのかが分かるまで就職したくない。大学生活は中身が薄くて、とにかく海外出て、違った環境に自分を置いてみようと思った。ここに来る前もエジプト二カ月行ったし。言い方が悪いかも知れないけど、海外出るなら発展途上国の方が得られるものがあると思った。だから、ブラジルじゃなくても「日本エジプト交流協会」があったら、そこでも良かった。(一同笑)
生徒たちと一体感
高山 この制度の一番良い所は海外で生活できるってことだよね。
中村 そうそう。旅行や留学じゃ、その国の生活臭い所まで感じられないもの。
司会 なるほど。ではブラジルでの研修勤務を通して、どのようなことを学び取ることができましたか。
野上 僕は研修が始まってから、「大学で一体何をしてきたんだろう」ということを改めて思うようになった。僕の研修先は日系の貿易企業だけど、最初まともな文章の書き方もろくにできなかったし。社長に「ボセは大学で何をしていたの!!」とよく怒られた。(社長のものまねで一同爆笑)腹が立つ時もあるけど、やっぱり社長の言う通りで。だから社内で自分にできることを探して、自分のポジションを作ろうと積極的になった。
司会 企業の研修ならではの発言ですね。学校で研修している高山君と吉村君はどうですか。
高山 僕は学校で生徒と生活しているけど、一番得たものは、共同生活の中での、人間関係の作り方かな。うちの学校の生徒たちはかなり苛酷な農作業をしているんだけど、「僕は研修生」という気持ちじゃなくて、生徒たちと一緒に同じ時間まで作業する。そういったものが信頼関係に繋がっていくし、今ではそれが少しずつ見えてきてるよ。
吉村 そうだね。僕は日本語学校で研修しているけど、学校には生徒やその父兄とか、色んな人が来る。教師は全ての人たちと上手に関わっていかないといけない。その人に合わせた接し方が必要だと思った。
笠井 私は愛想笑いがうまくなった。(一同爆笑) 野上 なんだよそれ。
笠井 だって初めこっちに来た時、言葉も通じなかったでしょ?それで相手に良い印象与えるには笑顔が一番じゃない?(一同納得)
吉村 だから日本にいた時と比べて、笠井が明るくなったと感じたのかな。
野上 そうか。最近、笠井は笑顔が増えたと思っていたけど、愛想笑いだったのか。(一同また納得)
己の性格を知る
司会 では、研修で嫌な所、良い所を含めて「ブラジルならでは」と感じたことなどはありますか。 野上 あるある。仕事をさぼること。「ブラジル人、仕事しろよ!」って思った。(一同笑)あと、仕事するにしても要領が悪い。流れ作業の仕事でも、いつも自分の持ち場だけを考えているから効率が悪くなる。
吉村 自分だけしか考えてないんだ。
野上 そう。だから見てたらイライラしてくる。
笠井 私の研修先は市役所だけど、そんなことないよ。皆きっちり仕事をこなしてる。ただ、カフェの時間は多いけどね。研修の初めに「カフェの時間は仕事しないように」とまで言われた。これには「ブラジルだなー」って思ったよ。
野上 そんなに割り切っているとはすごいな。うちの会社はカフェ飲みに行こうとしたら社長に怒られるよ。
司会 野上さんの上司は日系人、笠井さんの上司は非日系人、この違いだけでも研修で感じることはかなり変わってきますね。
中村 あと治安の悪さは身をもって体験した。強盗に出くわして、銃を突き付けられた時は本当に怖くて。それから外出する時はビクビクするようになった。日本と比べてこっちは日常茶飯事だから。
司会 なるほど、確かに治安の悪さは日本の比では無いですね。私もこちらに来て、まさかこの歳で、夜道の一人歩きを怖がるようになるとは思いませんでした。では、皆さんがそのように学んだ体験が、今後日本で生かすことができるのか、それとも青春時代における一過性の体験だけに終わってしまうのか。研修の総まとめ時期に差しかかった今、そのことについて語ってもらいたいと思います。
野上 僕はこの研修でデスクワークは向いていないことが分かった。今、自信を持って言えることはそれだけしかないけど。
中村 いいんじゃない。自分でやりたいこと探しに来て、「これは違うな」って一つ分かっただけでも。
野上 そうだな。あと、これは夢だけど、ブラジルのバールのような酒場を、日本で開けたらなーって思うよ。だから色んなバール行ってセルベージャ飲みまくってる。まあ、「飲みたいだけ」っていうのもあるけど。(一同笑)
笠井 私も市役所の仕事は向いていないと思った。与えられた仕事はきっちりこなしているけど。
温かい挨拶に感動
高山 僕たちは日本にいる時はただの学生だったよね。それで、研修という形だけど社会で働いてきたわけだ。その仕事を体験しながら「これは違うな」とか、「じゃあ、どんな仕事が自分に向いているんだろう」とか考えてきた。そんな、学生よりも責任のある立場でそのような考え方、価値観を身につけることができたっていうことだけでも、研修した意味はあると思う。
笠井 そうよね。その意味ではすぐに就職活動している学生よりも大きな価値観を持ったといえると思う。あと、私はブラジルの映画について調べてきたけど、将来ブラジルの映画を日本で紹介できたらなって思う。
吉村 ブラジルの映画を日本に?
笠井 そう。だってブラジルの映画を見せたら、日本人が「あー、ブラジルってこんな所なんだ」ってすぐに分かるじゃない。一番見やすい手段だと思うし。
司会 なるほど。中村さんはどうですか。
中村 私が日本で実践しようと思っていることは、人付き合いに対する姿勢。
司会 具体的にいうと?
中村 私が初めて研修先に行った時、「日本からよく来たね」っていう感じで温かく迎えてくれたの。こっちの人って明るくて優しいじゃない?それがすごく嬉しくて。だから日本へ帰っても、例えば私のおばあちゃんが旅館やってるんだけど、初めて来たお客さんに対して、心からもてなそうと思う。そうすればお客さんたちも「来て良かった」って思ってくれるんじゃないかなって。
笠井 そうだよね。こっちの人は外国人でもがんがん話かけるじゃない?私が全くポルトガル語しゃべれない時でも平気で話してきて。日本人にはそれが無いなと思った。
司会 じゃあ、これから話しかけていこうと?
笠井 うん。だって私たちもブラジルに一人でいる時は心細いじゃない。日本に来た外国人もそうかなって。だから日本で外国人と関わることがあったら積極的に話しかけようと思う。
吉村 似たようなことかもしれないけど、僕もここで人と出会う機会の大切さを学んだ。僕たちブラジルには一年だけしかいられないって分かっているから、どんな誘いでも行ってみようと思うし、色んな人に会ってみようと思う。でも日本だったら、面倒臭がったり、自分がやりたいことを優先して、こんなにあちこち行こうという気は起きなかった。
自信過剰型の移民
高山 一期一会の気持ちだな。確かに、皆ブラジル来て人と会う積極性を持っているよな。それをこれからも大事に思っていけば、吉村自身、変わっていくと思うよ。
野上 そうだよな。それを言われると、思い当たることがたくさんあるよ。僕だってこっち来てサーフィン始めているけど、日本にいる時はやろうと思わなかっただろうし。今では波が俺を呼んでるゼ。(一同笑)
司会 なるほど。今、日本では他人に対する無関心さが問題になっています。近所付き合いも希薄になり、若者は限られた仲間以外には近寄らない。「引きこもり」のように、他人との交流を一切拒否する社会問題まで生まれています。そんな中、皆さんがブラジルで学んだ人付き合いの大切さは、今の日本では学びづらい、貴重なものだと思います。さて、これまで皆さんにはブラジルでの研修内容、各自が感じたブラジルという国に対して話を進めてもらいました。今度はもう少し枠をしぼり、ブラジル日系人社会について語ってもらいたいと思います。ポルトガル語も、ろくに話せない私たちが、この八カ月間不自由なく過ごせたのも、ブラジル各地に存在する日系人社会による恩恵が大きいと思われます。個人差はあれ、皆さんは何らかの形で日系人社会に触れ、その目で良い所も悪い所も見てきたはずです。今回は、日頃お世話になっている日系の雇用主や先輩たちに対する遠慮は別として、二十三歳の目に映った日系人を率直な意見で語ってもらいたいと思います。
野上 まず、一世の人たちを一言でいうと、「濃い」。「おれはおれだ」って感じで、「もう少し下の話聞けよ!!」って思う。
高山 だって、一世の人たちって、今とは比べものにならない、苛酷なブラジルで生き残ってきた人たちばかりだからね。自信があるんだよ。まして、野上の所の社長や、僕の所の西村先生みたいに、一人でここまでの地位を築き上げた人はすごいと思うよ。
野上 確かに芯がある人たちだと思う。
司会 あと、一世の人たちと話していると、よく彼らの、移住当時の苦労話を話そうとする人が多いですね。
吉村 若者に「自分たちのしてきた苦労を分かってほしい」というのがあるんだろうな。苦労もせずに暮らしている若者に対する「あてつけ」という感じもするけど。それと、僕が一世の人たちに感じたことはブラジル人に対して差別的なことを言う人が多いこと。ブラジル文化にも閉鎖的だし。一世の人たちは日本人としてのプライドが高いからかな。
笠井 まあ、それをよりどころにして、これまでがんばってきたんだと思うよ。
吉村 一世の人たちは、移住しても日本人としての意識をしっかり持っているからね。だから、三世、四世と隔たりがある。
司会 というと?
吉村 僕は日本語を教えているけど、その現場にいれば良く分かる。お年寄りである一世は「母国語話せない人は恥」とまでいう人がいるくらい、孫たちの三世、四世に日本語学校へ通わせる。でもその世代になると、日本語を学ぶことを嫌がる。そしてその板挟みになっているのが、親である二世だと思うんだ。
高山 三世以降になると、彼らの核は日本じゃなくてブラジルになっているからな。だから、彼らは一世と違って、日本との関わり方が分からないんだろうな。強制的に日本語教えられているって思っているんだよ。
吉村 そう。生徒にたまに聞かれる。「どうしてこんなことするの?」って。日本語教えていても聞きたがらない子が多いし。
司会 最近三世、四世から「日本語やっても何のメリットも無い」ということをよく耳にします。高山君がさっき言ったように、彼らはもうブラジルの核を持っています。だから、これまでの「母国語だから覚えて当たり前」という頭ごなしの教え方じゃだめだと思うのです。もっと、一世、二世は、「日本語を習えばどんなメリットがあるのか」ということを、勉強させる前に教えなければいけませんね。
高山 JICA(国際協力事業団)に頼らせ過ぎなのも考えものだね。日本語は家族や地域で教えていくものだと僕は思う。
「未来の日本人見た」
吉村 少し話しが変わるけど、日本語には興味ない三世、四世に「どんな人と結婚したい?」って聞いたら、大体「日系人」って答える。どんなにブラジルに溶け込んでも、やっぱり日本の「血」っていうものが騒ぐのかなって思った。
中村 なるほどね。それはあるかも。そういう「血」があるから、今日までの日系社会があるんだと思うな。
高山 そう。そして、その日系社会のおかげで、僕たちみたいな人間がブラジルでこんなに良く過ごせてる。都合の良い言い方かもしれないけど、これから、日本から来る若者のためにも日系人社会は続いていってほしい。(一同うなずく)
吉村 僕は最近思うんだけど、こっちの日系の人たちって「未来の日本人」のような気がするんだ。
司会 過去ではなく未来の?
吉村 そう。今、日本は「国際化、国際化」って、どんどん外国の文化取り入れているよね。多くの外国人も生活しているし。それに、これから日本人はもっと海外へ出て、生活して、国際社会の中で生きていくことになると思う。ここの日系人はそんな国際社会を、約百年前に体験している先駆者だよ。いずれ日本人もここの社会のような環境で生活すると思う。だから、日本の人たちはブラジルの日系社会をもっと知らなければならないと僕は感じるんだ。
全員 良いこと言うねー。(一同歓声と拍手、吉村照れる)
野上 未来の日本人かー。確かにその通りだな。これから日本の若い連中は、海外の色んな国で「一世」になるかもしれないよな。
笠井 それなのに、今の日本ときたら「日本語教育をどうする」くらいしか、このブラジル日系社会に対して考えてないもんね。
高山 僕たちの先に、この社会があるのかも知れないね。吉村、本当に良いこと言ったよ。(一同また拍手)
司会 吉村君の一言には感じ入る所がありましたね。さて、それでは締めくくりとして、日系コロニアの諸団体についてそれぞれが感じたことを一口で批評してもらおうと思います。文協、援協、県連などの日系諸団体、あるいは邦字新聞でも構いません。よろしくお願いします。
世代超えた交流を
高山 じゃあ、邦字新聞のことを言わせてもらうと、井戸端会議的な記事が多いと思う。ゲートボールの記事とか、どこかの団体のパーティーの記事とか。確かにそれも大事なんだとは思うけど、小さな世界のことだけを書いている記事が、目に付き過ぎる気がするんだ。もっと駐在員や、僕たちみたいな日本から来た連中に、「日系社会はどんな所か」を紹介するような記事を少しでも載せてほしい。
中村 そうそう。国際面やブラジルの国内面は面白いけど、コロニアを扱っている社会面はあんまり読みたいとは思わない。「友達の藤本君が書いているから」って感じで読んでいるだけ。
司会 ・・・なかなか厳しいお言葉ですね。肝に銘じます。(司会黙り込む)
中村 県人会にも一言。県人会には寮がある所が多いよね。全部がそうとは言わないけど、ただ住まわせて収入を得ているって感じで、お年寄りは会館でカラオケやって、住んでいる若者はほとんど無関心っていう所が多い。県人会の経営に寮の収入は大事なのは分かるけど、次代のコロニアを引っ張る若手を育成しようというどころか、交流を持とうともしない。確かに、若者にも問題はあるけど。
笠井 私はこの前、交流基金の日本映画鑑賞会行ったけど、日本語ができる日系人がほとんどで、やっぱり一世が多かったわけ。非日系の人も来ていたけど、「日本大好き」っていう人だけで。そこに来ていた日系の人にも言われたことなんだけど、今は日本語できる一世がいるから会場も満員だけど、もう少し先になると、そうもいかない気がした。もっとブラジル人が興味を持つようなイベントを考えていくべきじゃないかな。
司会 なるほど。皆さん長い間どうもお疲れさまでした。まだまだ話し足りない所もあると思いますが、今回の座談会はこれで終了させて頂きます。皆さんから聞いた共通の意見に「人付き合いの大切さを学んだ」とありました。研修先、生活環境はそれぞれバラバラで、体験する種類、過程も異なりますが、根底は同じものを学んできたのだと感じます。そして、それは「日伯の交流」という、交流協会の最も重要なテーマに結び付くのではないのでしょうか。残り約三カ月。もうわずかな期間となりましたが、皆さんの研修がより成熟したものになることを期待します。きょうはありがとうございました。
「日本ブラジル交流協会」(玉井義臣会長)は、一九八九年に設立された外務省主管の社団法人。日本とブラジルの青少年交流を通じて、日伯の懸け橋的人材を育成することが主な目的。七六年に設立された「日本ブラジル青少年交流協会」を前身とし、八一年からブラジル留学研修生派遣を開始。研修生は同協会が指定した企業、学校などで約一年間の研修を行う。現在研修している第二十一期生でちょうど六百人が、同制度を通して渡伯した。第二十一期生は今年三月に帰国し、四月には第二十二期生が着伯する。