後に婆さんはある老人によばれてU町にこすと、息子のジュリョというのが嫁のベネジッタをつれて引き越してきた。そしてすぐに馬に曳かしてやる泥こねの仕事についた。それが夜になると隣にきかすように騒がしいのである。
ある夜、隣の部屋があまりにもきしむので、目ばしこいのと好奇心の人いちばん強い千恵は、耐えきれずに板壁の節目からのぞいてみた。電圧のさがった黄色い電燈のしたでも二人の痴態をはっきりと見たのである。
もう子供の三人もあるひね女房なのに、興奮に顔をあからめて、台所で調べものをしている太一のわきにきて、ーあんた、やっているわよーと下司っぼく口をきいた。それも姿態が正常でないという、太一には未体験のものだったが、千恵がへんなものを見たものだとおかしくなった。性交の型としてそのような図を、戦後の日本からくる雑誌でみたことがある。楽しんで子供のいらない夫婦にはもちいられる型のようである。干恵の好奇心によって太一らもひさしぶりに燃えるという余徳があったわけである。
けれども、あまりにも変わったポーズは長続きしないものか、ベネジッタの下腹がふくれてきた。それにしたがって夜の夫婦は穏やかになった。ベネジッタは大きな腹を自慢らしく突き出して、長屋をわたりあるいたり、女たちの仕事場にいって作業の邪魔をした。
そこでは千恵は野良にでなかった。町ちかくで人手に不足はなかったし、彼女にはけっこう裁縫の注文があって、家でミシンをふんでいるのでベネジッタがくるようになった。すると、台所の食器棚においてあった小銭がなくなり、藤の繊維であんだ浅い籠にもっておいたトマトとかミカンが減るようになった。千感が数をかぞえておくと、ベネジッタの帰ったあとでは数は合わないのである。千恵は息まいて責めてやると怒った。
太一は見たわけでもないので、滅多なことは言われないと宥めて、別棟にいるイタリア系の職人の女房に、誰とはいわずに物がなくなると言えと、勧めておいたところベネジッタはそしらぬ顔できていたが、その後ものがなくなるは止んだ。
物をとられて一時は怒っていた千恵も生来気のよい女だから、ー腹の子がほしがるのねーと言って、ちょっとした物をやっていた。ベネジツタは反り身にならなければ立っておれないほどに、腹は前に突きでてきた。外人は下帯をしないから出るたけ出ばらしてーと、千恵は笑っていたが、産み月の話をしたり出産の心得なども教えていた。
それから幾日かがすぎたある日、突然に長屋中にひびくほどの、アイ・アイと叫ぶ声をみんながきいた、長屋から工場の者たちも騒然となって、ジュリオの家に駈けつけた。千恵も女たちにまじって見にゆくと、為すすべもしらないジュリオの手の下で、陣痛の痛みでベネジツタはころがり暴れていた。さっそく救急車がよばれて、慈善病院に運ばれていった。ー外人はおおげさなのね、恥ずかしくもなく泣きわめいたりしてー、同性なのに千恵は冷笑していた。
五日、産院にいたベネジッタは退院してくるなり、自身の養生はどう思っているのか、お祝いにもらった初着に幼児をくるんで、長屋中に見せてあるいた。
煉瓦職人などはもとより給料もやすく、家族がふえてくるとやっていけなくなり、子供がまず放置される。小学校にあがるのはまた良いほうで、たいていは朝から家をでてそこらあたりをうろつきまわる、半裸体で寄生虫や疥癬もちで、知能は未発達なのに、体格だけは大人ほどの未成年が、さきになってかなりの悪戯をやるが、親たちに知らぬ顔をしていてかまわないのである。