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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(21)

 その当時、太一の父母は亡くなっていた。干恵の弟に太一の妹がいっている関係で、別れ話にならなかったものの、妹はーそれ見たことかーと冷笑しているようであった。太一はなるべく義父に負担のかからないように気をつかったが、事は急なことだったので一時鶏小屋を改造して住んだ。義父はちかくの地主イタリア系のルイザ奥さんの土地を、一域借地してくれたのであった。
 ルイザには息子がひとりいたが、この親子は地主といっても、額に汗して働く人たちではなかった。ほかに収入の途でもあるのか、太一は新米でその間の事情は知らなかったが、日雇いの者がいうには、ルイザには裁判官の旦那があって、そこから生活費がでるとはおそらく真実なのだろう。
 太一は女地主の境遇など知りたくもなし、興味もなかったが、ルイザの父はここにある宗教団体を誘致して、神学校や修道院を建て、一つの学園地域になすつもりだったらしい。ところが何かの事情で計画は挫折したのだというっそれはただ人の噂でないのは、郡道から山腹にゆく坂道をのぼると、両側にうえた檜の並木のおくに、かなり広い台地があり、そこに大きな建物の礎になる煉瓦のつみかさねが、荒れたままにのこっている。
 昔からの牛車の道をいくらか広げて、自動車の通れるようにした郡道を、B町からチエテ河をまたいでいる木橋をわたって、地から湧いたとおもえるような丸い巨石のあいだを五キロほどの山道をのぼったところに古びたお堂がある。そのわきの小径をはいるとルイザの屋敷につく、住まいに庭も気味のわるいほどに荒れている。もとよりこの人たちは手入れなどはしない、土着の者をよんでも支払いをしないので、誰も応じる者はないという、それでもルイザが町にゆくには、タクシーの送り迎えをさせていた。
 世間ではルイザの評判はとても悪いようであった。日雇いのジョゼーなどはーどんなうまい話でも婆の口にはのるなーと、親切ごかしに太一に忠告するのであった。
 かって太一が煉瓦工場の牧場を借地したおり、そこの主人は煮ても焼いてもくえない男といわれ、ーえらい者の土地をかりたなーといわれたが、太一がちょくちょく好意の贈り物などをすると、人が変ったように良くしてくれた。ところで、ルイザは太一に借地させている。つまり恩恵をほどこしているとの気持ちからか、時には太一の小屋にきた。
「あんたが太一さんか、心臓がわるいときいたが、わたしは良い祈梼師をしっている。ちょっと遠いミナス州だが、いっか連れていったげる」
と親切の押し売りのようなことをいう。太一は感謝するようにみせて、ー自分には信仰している神さまがあって、いつも祈願しているので、この頃では発作もおさまり、体調もよくなっているーと、そこは娩曲にことわった。女地主は強いて勧誘することはなかった。太一はルイザとは借地契約のほかは、よけいな関わりは持ちたくはなかった。
 義父のすすめもあって、比較的に小面積でも生活のなりたつという、トマテを栽培することにした。トマテと馬鈴薯は投機的な作物として、日系農家で大面積に植えつけをする者もあったが、太一はそんな事情はわからず、生きてゆくためのたつきにしたまでであった。
 太一の病状は、この海岸山脈の高度と寒冷それに湿気が体に合ったのか、しだいに軽くなってこまごました仕事ならやれるようになった。そして好運にも、何十年ぶりにそれも何時くるか予測もつかない、トマテの高値に当たったのである。朝市の商人などがどこで聞くのか、太一の借地にまで車できて、青採りまで頼んでゆくのであった。一時はトマテ一箱が白米一俵の値までした。サンパウロの中央卸売市場でもとても品不足だということであった。