アマゾンというと、豊かな動植物、原住民といったイメージが強い。そこに日本人の奮闘の歴史があったことは、アサイーが流行っても知られることはない。ましてや、アマゾンの日本移民を医療で支えた医師たちがいたことはもちろんだろう▼14日付け本紙7面記事「アクレ州医療向上に50年」で日本政府の旭日双光章を受けた川田哲男医師(78、二世)。同州で無償医療を貫き、3病院建設に尽力した功績が顕彰された。1961年にリオ連邦大卒業後、僻地といわれた同州での研修を希望した。過酷で知られたキナリー移住地の日本人入植が2年前。開拓に燃えた体も心も、容赦ない自然の前に衰えるころだ。「神様が来た」と涙で迎えたことは想像に難くない。川田医師はその後の人生を地域医療に捧げた▼今年1月に50周年を迎えたアマゾニア病院(ベレン市)に創設時から勤務する伊東澄雄医師(79、二世)もそうだ。62年にパウリスタ医大卒、半年の研修予定だった。開拓地での死産の悲劇を見聞きしたのではないか。その後、産婦人科医として約4千人を取り上げた。治療、研究に献身し「アマゾン河」の著書もある神田錬蔵、パリンチンスで高拓生の夢に付き添った戸田義雄、開拓地の巡回診療に尽力した細江静男―。「医は仁術」を地でいった日本人医師たちだ▼細江医師は当時、作家曾野綾子氏の「アマゾンは移住に適さない」の言を「ブラ・ション黙殺すべし」と書いた。「ブラジルにションベンしに来た=何も知らない」の意だが、今年アパルトヘイトを容認するような曾野氏のコラムが非難に晒されたことを思い出した。余談だが。(剛)