若き夫、104歳での「戦没」―。16日付朝日新聞電子版の見出しが気になり、読んでみた▼旧満州の日本人学校校長だったが、1946年に家族と生き別れ、戸籍上104歳になる男性に対する戦時死亡宣告の申し立てがあり、今月中に生存情報が寄せられなければ死亡したと見なすと官報に掲載されたという。戦後70年目の宣告手続きは、引き揚げ後も夫の帰りを待ち続け、自分が死んだら宣告手続きを行う事に同意していた妻が2月に死亡したからで、葬儀には、104歳の妻の写真と若き日の男性の写真が飾られた▼安否不明のまま外地から戻らぬ兵士や一般邦人(未帰還者)が3万人以上いた1959年、未帰還者を死亡扱いにできる戦時死亡宣告制度が導入され、最初の5年間で約1万5千人が死亡宣告された。先の男性の妻は遺骨さえないのに亡くなったとみなす「フィクション」が受け入れられなかった一人で、未帰還者は今も295人いるという▼ニューギニア島などの激戦地に残る数々の遺骨も、終わらぬ戦後の象徴だ。岩手県のNPO法人「太平洋戦史館」関係者は今月始め、同島内3カ所で約300体の骨を確認したが「多くは野ざらし、地中にあっても数センチの深さ」とあり、政府の取り組み次第でもっと早く遺骨と対面できていた人もいたはずと胸が痛んだ。日本国外に眠る兵士らの遺骨は80万人以上分と想定されるが、65年頃までに回収された骨は約1万1千人分。全遺骨収容は不可能だから、一部の遺骨を納めて戦域全体の戦没者とみなす「象徴遺骨」の考えで、身元不明者の骨を納めたのが千鳥ケ淵戦没者墓苑だ。戦後に終止符を打てない人はまだまだ多い。(み)