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ジョーヴェン・グアルダから50年=60年代のブラジルの若者が熱狂

 1965年8月22日、当時のブラジルの若者たちを熱狂させた音楽番組「ジョーヴェン・グアルダ」がレコルデ局で放送を開始した。それから今年で50周年を迎えた。
 「ジョーヴェン・グアルダ」は、レコルデ局がはじめた音楽番組で、司会には当時人気絶頂だったアイドル、ロベルト・カルロスに、彼の親友エラズモ・カルロス、女性アイドルのヴァンデルレアの3人がついた。番組はサンパウロ市の繁華街のひとつ、コンソラソン通りにあるレコルデの公会堂で行われていた。
 その人気は絶大で、公開収録の日には毎週のように長蛇の列ができ、そこで歌われる曲、歌手のファッション、番組中で語られる言葉が流行語となった。音楽の点で言えば、この番組のおかげでブラジルでもエレキギターが一般的となった。
 日本にたとえるなら、坂本九などのカバー・ポップスの時代に、タイガースなどのGS(グループ・サウンズ)が一緒になったイメージだ。実際、「ジョーヴェン・グアルダ」はその当時、「ビートルマニア(アイドル時代のビートルズのブーム)のブラジル版」とも呼ばれ、次々と生まれる人気スターには追っかけも数多く生まれた。
 ただ、それは「アイドルとしてのブーム」であったがために、本格派のミュージシャンや音楽ファンからは批判も受けた。ちょうど、ボサノバ勢が軍事政権に対する怒りを言葉に乗せはじめた時期で、68年にはボサノバ勢の中から、音楽的実験に走ったビートルズの影響を受けたカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルが「トロピカリズモ運動」をはじめ、軍事政権から国外追放処分を受けながらも抵抗して音楽活動を続けてもいた時代だ。
 「ジョーヴェン・グアルダ」も、68年11月の「軍政令第5条」による軍の圧制強化で国民の不満が爆発したのと、同じ頃にロベルトが司会を降りて人気が急降下したため、まもなく番組を終了してしまった。
 「ジョーヴェン・グアルダ」のイメージは、「懐メロ」の印象がどうしても強い。それは、出演歌手たちが、別の大人向けのジャンルの音楽やタレントに転向する例が相次いだことや、その後も人気は抜群なロベルトでさえ、甘いバラードを売りにした歌手に転じたことなどが原因だ。
 しかし、後年になって「ジョーヴェン・グアルダ」当時のヒット曲を耳にした若者が、当時のアイドルがこの当時なりに英米のロックに近い音作りを志していたことを発見して再評価されることも少なくない。この点でも、日本のGSとの共通点が見られる。
 このブームから唯一ロックのままキャリアを続けているエラズモ・カルロスは、「あの当時、ボサノバをやっていたのは金持ち連中ばかり。俺たちは、自分と同じような庶民の若い連中をボサノバやMPBではるかに自由にさせていたぜ」と語っている。
 エラズモは「現にカエターノだって、(ロベルトの代表曲の)〃ケロ・ケ・ヴァ・トゥード・プロ・インフェルノ(みんな地獄へ行ってしまえ)〃が、あの頃のどのプロテスト・ソングよりも若者に大きな意味を持っていた、と言っていたくらいだからな」と語っている。(22日付エスタード紙ほかより)