ある日のこと、区長さんがきて北山さんが倒れたと知らしてくれた。その朝、コーヒーをすまして車の始動をさせていると、急に気分がわるくなったという、見舞いにいってきた千恵の話ではー奥さんも顔がむくんでいて別人のようだったーという。北山家では老人ふたりが病気になっても、生計にどうということはないにしても、不測の失費にちがいない。太一は他者を例にして説をたてるのではないが、人がこの世に生まれてきたのは、有りうべからざる有で、その貴重な生を楽しむのは、太一も古代ギリシャの哲人エピクロスの説に賛成だが、血をさわがす享楽よりも、読書に思索という静謐を最上と説いたのを、
(注・二ページ落丁)
い、一年に一作ぐらいのわりで、コロニア文芸誌に創作をだすようになった。太一は家計のくるしい頃でも邦字新聞はとっていた。その新聞社が賞をもうけて懸賞小説を募集しているのは知っていた。太一は古今東西の短編の名作に接して、心底うたれるとともにこの世に生をうけてこのような芸術にあえるのを喜んだが、当選作などを読んでみてこの程度の作品なら、自分でも書けるのではないかと思ったのである。
ずうっと前のことになるが、P鉄道の通っているI郡で借地をしていた頃、ある農場から何人かの人骨がでてきて話題になった件があった。地方新聞の記事によると、それらの骨は専門家の鑑識によると十年からのもので、おそらくは開拓の当時、山伐り請負人が仕事じまいに、人夫たちにピンガをだして酔わし、賃金を奪う目的で全員を惨殺して埋めたのだろうとの、推定がもっぱらであったが、後日犯人が挙げられた話はきかない。
太一はこの事件をもとにして、原因と目的はちがうにしても、日系人社会でもこのような犯罪はおきうるのではないかとして、『かすかな声』と題した一編をあんで応募したところ、後日、新聞社から佳作に入ったとの通知があった。はじめて応募した作品が採りあげられたので、太一は驚きもしたが心底うれしかった。
けれども、それは千恵には知らさなかった。また何日かたって新聞に載ったのも言わなかった。ところが、月に一回ある村の婦人会の集まりからかえってきて千恵は、
「あんた、今日わたしみんなの前で恥をかいたわよ」
えらい剣幕で太一にくってかかった.。
「どうした。何があったんだ」
「あんたの小説が入選したと、でかでかと新聞にでているというしゃないの、Nさんの奥さんが言ったのでしょう。みんな知っていて知らないのはわたしだけでしたからね」
「うん、それは前に新聞社から通知があった。ところでそれがどうしてお前の恥になるのだ」
「あんたのことをわたしが何も知らないので、笑われたり呆れられたりしましたからね。あんたという人はわたしを何と思っているの、入選したならそう言って新聞くらい見せてくれてもよさそうなものなのに」
「お前、毎日見ているじゃないか、何を読んでいるのだ」
千恵はどんな読み方をしているのか、曲がりなりにも邦字紙は読めたのである。
「それは見たわよ、けれどもまさかあんたのとは思わなかったわ」
「佳作、『かすかな声』松山太一と特大活字でていただろうが、だいたいお前は日ごろからおれをみくびっているから、このような現象になり、それが還元してお前の恥になるのだ」