首都ブラジリアの連邦議会で8月28日午後、9月に60周年を迎えるコチア青年のブラジル社会への貢献を讃える慶祝式典が行われ、サンパウロ州各地のコチア青年連絡協議会(前田進会長)の会員ら約90人が飛行機で駆けつけ、首都在住者ら約20人も出席して祝った。亡父がコチア青年だった飯星ワルテル連邦下議が提案し、08年の移民百年祭以来の大人数のサンパウロ市在住者が参加する首都式典となった。
式典の最後、父・飯星研(みがく)さんが第1次3回だった飯星下議が、「父は66歳で亡くなった。3人兄弟の長男が私。コチア青年の息子であることが何よりの誇り。勇敢に移住した皆さんに感謝し、その教育を受け継ぐ責任が我々二世、三世にはある」と力強く語るとすすり泣きする声が聞こえた。飯星下議から顕彰プレートが前田会長に手渡されると大きな拍手が響いた。
連邦議会のネレウ・ラモス講堂には、コチア青年の過去のスライド写真が投影された。日伯外交樹立120周年の公式行事として大使代理で藤村和広公使が出席し、「コチア青年は終戦後の日本の若者に新しい機会を与え、ブラジルの農業発展に寄与する素晴らしいプロジェクト。日伯の友好関係促進に非常に大きな貢献をしてきた」と称賛した。
60周年記念祭大会委員長の広瀬哲洋協議会副会長は「このように公式に連邦議会から顕彰されるなど、60年前には誰も予期していなかった。今後10年、15年先に向けての良い刺激になる」とポ語で感謝した。
前田会長が代表して「コチア青年子弟の尽力で、このようなオメナージェンが連邦議会で貰えるとは感無量です。素晴らしい一日を頂いて感謝したい」とのべると拍手が湧いた。
当日は、かつてコチア産業組合で長年働き、セアザで7年間も販売部長をした後、首都に移住して農牧調査研究公社(Embrapa)で野菜栽培の指導などをしてきた堀野喜彦さんも壇上にあがり、コチア青年移住の歴史を説明した。
式典後に一行は会議場を案内され、飯星下議から投票の仕方などの説明を受け、議員の席に座って記念撮影する人もいた。
1次1回渡航の黒木慧さん(けい、81、宮崎県)は「こんなにたくさん来たことに驚いた。自分たちから始まって、こんな名誉ある顕彰が受けられるとは夢の様」としみじみ語った。鈴木記久夫さん(75、千葉県、2次6回)は「初めて連邦議会に入った。こんなところで顕彰されるなんてありえない事」と喜びを噛みしめていた。
飯星下議の演説に涙を流していた賛助会員の水口世有子さん(ようこ、65、鹿児島県)は「コチア青年は20歳前後で親から離れて単身渡伯した。飯星議員のお父さんは早くに亡くなったが、その息子さんがこんなに立派になられ、こんな親孝行なことを申し出られたことにジーンと感動した」と思い出し泣きをした。
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コチア青年のサンパウロ勢は午前9時過ぎには空港に集合していたが、飛行機が遅れ、首都到着は午後1時前。バスの中で弁当を食べて午後2時からの連邦議会での式典に直行。一時間ほどの式典後、会議場を見てすぐにバスに乗って午後5時には再び空港に戻り、グアルーリョス空港に戻ったのは午後9時過ぎ。そこからまたピエダーデやイビウナ、ソロカバなどの帰路に。ブラジルに来た時は18歳から25歳だった〃青年〃たちも今は70代から80代。充実していたが、「長い一日だった」としみじみ語る声も。