2015年9月1日、サンパウロ市に本拠を置くサッカークラブ、コリンチャンスが創設105周年を迎えた。
サンパウロのボン・レチーロ地区に、労働社階級の人々が中心となって設立したコリンチャンスは、100年を超えるその歴史の中で幾多の栄光の瞬間を勝ち取り、ブラジルに留まらず、世界中でファンを獲得。その数は今や3千万人を数え、一大家族をなしている。
サンパウロ市に点在する、コリンチャンスゆかりのスポットを紹介すると…。
ボン・レチーロ地区
ここが全ての始まりで、当時、英国のビッグチームの一つ(いまでは9部リーグに所属)のコリンシアンFCのブラジル遠征に影響を受けた5人のサンパウロの技師達が、コリンチャンスを設立した。同地区を通るジョゼ・パウリーノ街(当時は移民街と呼ばれていた)とコネーゴ街の交差する角には、チーム設立記念の三角碑が置かれている。
パカエンブー競技場
正式名称、パウロ・マシャド・デ・カルバーリョ競技場、通称パカエンブーは、1950年のサッカー・ワールドカップを見据え、1940年に建設された。同スタジアムは、1950年にリオのマラカナン競技場が建設されるまで、ブラジル国内最大の収容人員数を誇っていた。
同スタジアムは度々、コリンチャンスの栄光の瞬間の舞台になった。近年では、2011年のブラジル全国選手権優勝と、2012年のリベルタドーレス杯優勝をここで成し遂げている。
このスタジアムは歴史遺産にも認定されており、併設されているサッカー博物館は、月曜日を除く毎日、朝9時から午後5時まで開館している。http://museudofutebol.org.br/
パルケ・サンジョルジ
サンパウロ市東部のパルケ・サンジョルジ地区でチームの守護聖人、聖ジョルジと同じ名前の通りにあり、チームショップ、体育館、プール、レストラン、教会などがある。1920年代に469試合が行われた、アルフレッド・シュリグ競技場(通称ファゼンジーニャ)も同じ敷地内にあり、現在はコリンチャンスのアメフトチームや下部組織のチームの試合が行われている。施設を利用するにはチームの公式会員になることが必要だが、チームショップは誰でも入店可能。
アレーナ・コリンチャンス
コリンチャンスが創設以来104年目にして初めて持った専有のサッカー場。14年の5月10日にオープンし、同年のW杯でも開幕戦や準決勝の舞台となった。これまでのコリンチャンス戦の平均観客動員は3万1千人。来年のリオ五輪では男女サッカーの会場としても使われる。
(9月1日付サイト・パンロタスより)