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セレソン初出場で得点を挙げた、アルカンタラ兄弟、次男のラフィーニャ(Rafael Ribeiro/CBF)
セレソン初出場で得点を挙げた、アルカンタラ兄弟、次男のラフィーニャ(Rafael Ribeiro/CBF)

父は94年W杯のV戦士=2人の息子はスペインとブラジルの代表

 94年、アメリカワールドカップ優勝メンバーの1人、マジーニョはイタリア、スペイン、ブラジルの名門クラブを渡り歩き、2001年にブラジル、サルヴァドール市に本拠を置く、ヴィトーリアでプロのキャリアに終止符を打った。
 しかし彼のサッカー人生はこれで終わらなかった。バレーボール選手だった、元妻ヴァレリアとの間に生まれた、兄チアゴ(24)、弟ラファエル(22)はその後成長して、プロサッカー選手になった。いまでは兄のチアゴはドイツの名門バイエルンでプレーし、スペイン代表に名を連ね、弟のラフィーニャはスペインの名門バルセロナでプレーし、ブラジル代表に名を連ねている。
 現在、息子2人の保有権管理の会社を経営し、バルセロナに暮らす49歳のマジーニョは、2人の息子がともに、偉大なプロ選手になりつつある心境をきかれ、以下のように答えた。
 自分は世界一幸せな父親だと思う。2人の息子が2人とも、偉大なクラブでプレーしているし、各々の国の代表チームの選手にも選ばれたんだ。
 実は、17歳の末っ子の娘タイーザも、スペイン、ヴィーゴ市のバスケットのユースチームでポイントガードをしているよ。
 元妻もバレーボール選手だったから、運動神経の良さが遺伝したのはあると思う。子供達は小さい頃からいつも、運動に親しんできた。でも、プロを目指しなさいと言った事は一度もないよ。
 2人とも子供の頃からサッカーが大好きで、自分のチームの練習場に連れて行ってはウォームアップの相手として一緒に遊んだもんだ。幼い頃から他の子とは違っていた。まぎれもなく、あれは才能だよ。ただ、2人を比べて競争させることはしなかった。
 2001年にブラジルのチームで引退したあと、しばらく家族全員でリオに住んだが、それまでの10年ヨーロッパで暮らし、ヨーロッパでの生活に慣れていたのと、子供の教育、治安も考えてスペインに住む事にした。最初はヴィーゴに住んでいたが、05年に長男のチアゴがバルセロナのユースチームと契約してからは、バルセロナに住んでいる。
 05年には離婚して元妻と娘はヴィーゴに残った。私は2人の息子とバルセロナに渡り、父親役と母親役、会社経営、子供の送り迎えを1人でこなした。大変な毎日だけど、今は息子達も自立して、少し落ち着いた暮らしが出来ている。
 息子の試合を見るのは落ち着かない、怪我でもするんじゃないかとね。自分でプレーするほうがよっぽど気楽だ。
 ラフィーニャがブラジル代表に初めて呼ばれ、初出場で初ゴールの時は、自分のゴール以上に興奮した。こんな事が自分の人生でまさか起こるなんて思いもしなかった。
 2人がバイエルンとバルセロナに分かれてぶつかったチャンピオンズリーグでは、心が引き裂かれる思いがした。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。それなら、良いプレーをしたほうが勝つようにと願ったね。2人がそれぞれのチームに貢献するプレーをする事はもちろんだけど。
 もし2人がスペインとブラジルに分かれて戦ったらと想像しただけで胸が高鳴る。自分はブラジル人だから、ブラジルの勝利を願う気持ちは変えられないけど、願わくば、その試合で2人が1ゴールずつ挙げて、ブラジルが勝ってくれるといいね。
 2人ともビッグチームに所属しているし、スペイン、ブラジルと強豪国の代表選手でもあるけれど、私を越えるにはW杯で優勝してもらわないとね。(笑)(9月13日付ヤフーブラジルより)