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ニッケイ歌壇 (497)=上妻博彦 選

      サンパウロ      武地 志津

郷里より届きたる本「伊勢神宮」開けば爽快の気われを包みぬ
参道の砂利踏む音のさくさくと正に聞こゆるごとき写真に
幼時より思い出深い五十鈴川朝もやけぶる静寂の中
シンビジウムの鉢携えて来し友が娘(こ)の佛前に香薫き呉るる
同じ頃娘(こ)を失ないし友とわれ折々にして遺影に語る

  「評」『伊勢』はまさに『爽快』な聖地。

      グワルーリョス    長井エミ子

九月風冬の形見の落葉などごっそり抱え春萌え立ちぬ
アメンボウ右に左に乱舞せし陽は遠くあり真上のしじま
時々はコップ触れ合う音のして山家の空を雲歩みをり
何事も無きを労わり老夫婦客足捌く日の暮るるまで
コノネマキアッタカイネト君ノ言ウモライモノダヨオヤ雨ノ音

  「評」繊細な感覚が織り成す詩情がふいと立ちどまらせながらも、誘いやまぬ韻律がある。

      サンパウロ      相部 聖花

黄のイッペーちらほら咲きて建国の記念日近しと気付かせるなり
一房の藤の花咲く色さやか暦の上の春待たずして
見上ぐれば梢にアバカテ下がる木に新しき花あまた咲く見ゆ
※『アバカテ』はアボカドのこと
ガス売りの低き音楽近付けば隣家の犬は悲しげに吠ゆ
「み光を常に求めて我に頼れ」聖歌の如き導き受けたし

  「評」常夏の国と言われながらも、気象の乱れがちな昨今を気付かせてくれる樹木たちのいとなみ。人類社会の飽なき欲望は極限に達しているのにと、そして『導き受けたし』と自らに引きつけて反省する誠実な人となりが沁みる。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

「止むを得ず卆寿となりて」水野さんの第一句にわれかぶと脱ぎたり
もう少し自炊を続けて下さいねわたしその中招ばれにゆきます
息をのむほど素晴らしい今朝の空短歌詠むより方法はなし
南天の朱実に心洗われてついつい自室にこもる日多し
日付けさえ忘るるよわいこのままでいつまで続くわれの生き態

  「評」この人の歌には韻律のぶれがない。自分の言葉でそのままを詠んでいるからだ。日常の会話をかわしても、きっと心和ませる人だと思う。三首目の歌、こんな作品を詠んだ人が嘗てあったろうか。「うたを詠むより方法はなし」と。

      サンパウロ      水野 昌之

何をして食べているのか分からない中年男のうろつく都会
人生に七転八起はあるものよ今を八起きと思えば愉し
ひと言を言えばすべてが済むものを男の意地がさえぎる「ごめん」
親交の友の暮らしを我が歌に無断で詠みぬ心痛めど
日本祭の焼きそばの鍋たぎりをり県人会のいまし賑あう

サンパウロで開催される県人会連合会主催の日本祭では、各県人会が郷土食を販売するコーナーが大人気。日本人、日系人だけでなく非日系人も競うように求め、ブース前には行列ができる。

サンパウロで開催される県人会連合会主催の日本祭では、各県人会が郷土食を販売するコーナーが大人気。日本人、日系人だけでなく非日系人も競うように求め、ブース前には行列ができる。

  「評」この様な作品に接すると歌評など鳥滸がましくて身がちぢむ思いだ。先ず自己批判を忘れない人だ。

      サンパウロ      武田 知子

独り居に銀座百点開げつつ誌上銀ぶら旅情湧き来し
壷の中掴み取りとてエメラルドフェアーの店で春の一と日を
そろそろと拳細めつエメラルド掴み引き上ぐ小粒いくつか
タウン誌の銀座百点ページ繰る今は想ひ出散策の日々
うっすらと曇るグラスに一人酒日曜の午後シェーカーを振り

  「評」過去と現在の世界に読む者を誘い、ひと時の幽玄郷に浸らせる技術がある。それだけ世界が広いと言うべきだろうか。

      サンパウロ      坂上美代栄

焦がすこと知りつつまたも忘れたりトイレに行きてそのままサーラ
ニュースすみあつと思いだし台所芋は黒焦げ二本の炭に
黒焦げの鍋に向かいてありがとうアパート焼かぬは感謝に余る
おお方の人はそれぞれ晩年を角を落として丸く納まる
一徹を通せし人はそれなりに信念ありて己が道行く

  「評」今頃になってNHKを引いて、見出したら腰が上らない筆者も、切迫つまった仕事に追われっぱなしだ。

      バウルー       小坂 正光

幕末の回天の英雄司馬の作「竜馬がゆく」を友より借りる
文豪の司馬の名作全八巻「竜馬がゆく」を繰り返し読む
移民船の航海中に一船員六歳の吾れを愛しみ呉れし
移民船寄港なす度若き船員波止場をスケートで滑りいたりき
珍しく女性運転手の座りいる市内のバスにわれ飛び乗りぬ

  「評」移民船中の私は六歳だったとふりかえる作者。いまようやく名作をも読む時間と生活のゆとりを思いいるのだ。四首目のスケートが、ローラー・スケートか、氷の上かが、しっかり読んでくれる者には気がかりだ。

      カンベ        湯山  洋

歳故に街に移れと子供達言い悪そうに遠回りして
過疎となり子らも心配するなかでいついつまでも我意を貫せず
もう少し隣近所に人住めば歳とは言えど安住出来るに
愛着や未練は尽きねど潮時と心機一転新生活へ
夜となれば未練の絆断ち切れず先見のなさ悔いて眠れず

  「評」親子の情愛を物語りの様に連ねた所にしみじみとした、叙景の歌。四、五首の心の動きは読む者の心をとらえる。

      ソロカバ       新島  新

三匹の雛育て居る穴梟餌を運ぶ刻未だ知らざり

いつ頃に親離れるか穴梟親より大きくなりし雛どち
穴梟の巣立つ日の迫りしか行動範囲日ごと広まり
ジャングルジムの天辺で拳上げガッツポーズの老に拍手が
猫の日の如入れ替るセリーグの首位争いが今面白き

  「評」穴梟の生態をよく捉えている。実際に『雛は親より大きく見える』。呉々も天辺でのガッツポーズには気をつけれらたい。

      サンパウロ      武地 志津

被爆者の悲惨な体験後世に語り継がれむ平和守(も)るため
学童に戦禍の惨(むご)さ語りつつ被爆瓦に触れさせもして
吾が肩に手を掛け頬笑む写真の娘(こ)眺めて今朝も背な押されいる
運転は初心の女孫(まご)とピケリーの寺訪うややに気を引き締めて
※『ピケリー』は、サンパウロ市内にある地区の名称
三人の孫たち並び爽やかに笑まう写真の辺り明かるし

  「評」祖霊等は現実を肯定し、前向きに歩くことを見守り給う。そして背を押し給うのである。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

華やかな夕空眺め何となくたのしい明日を思い浮かべる
外国の人らも多く日本の街を歩むと夢にまで逢う
ぐちっぽい思い捨てれば12年住みし祖国のただなつかしき
思案して出したる歌が思わざる批評を受けることもあり得る
死ぬ時期が迫るようなる気もするが短歌があるからまだ大丈夫
何となく心残りのする言葉切れた電話を眺めるしばし

  「評」この人にも『ぐちっぽい思い』があるのかと、思わせる下の句のつなぎが旨い、と言うより素直な『くちづさみ』であると私は思う。