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カルロス・マンガが死去=ブラジルのお笑い支えて半世紀

 映画監督やテレビ・ディレクターとして、半世紀以上にわたりブラジルの娯楽文化に貢献してきたカルロス・マンガが17日、リオの自宅で亡くなった。87歳だった。死因はまだ明らかにされていない。
 カルロス・マンガと言えば、近年では「グローボ局のバラエティ番組のディレクター」という印象で一般には知られているが、その芸暦は映画監督をつとめていた時代にさかのぼる。
 1928年にリオに生まれたマンガは当初、銀行員として働いたが、元からの映画好きが高じ、当時ブラジルの大手映画製作会社だったアトランチダ社に入社した。最初は倉庫管理だったが、徐々に製作現場に入って行くようになり、20代後半になる頃には同社の監督のひとりとなった。
 マンガはここで、当時最高のコメディ映画俳優のオスカリートの主演作品を監督する機会に恵まれ、「オ・オーメン・ド・スプートニク」(59年)、「オ・クッピン」(60年)など、オスカリートの代表作を手がけることとなった。
 アトランチダは62年で閉鎖されることとなったが、マンガはその後、テレビに転向し、当時は駆け出しだった、後にブラジル最大の喜劇王となるシコ・アニージオのバラエティ番組「シコ・アニージオ・ショー」「シコ・シティ」を手がけ、70年代には売れっ子のディレクターとなった。
 そして1980年からは彼自身のホームグラウンドとなったグローボに所属し、ノヴェーラやバラエティ番組を数多く手がけた。ノヴェーラでは「ヴァンプ」(91年)、「アンジョ・マウ」など、得意なコメディ路線の作品を制作した。また、バラエティでは、日曜夜の長寿番組「ドミンゴン・ド・ファストン」を手がけていた。
 その傍らで、時に映画監督の仕事も行い、86年には、当時、シコ・アニージオと並ぶブラジルを代表するお笑いグループ、トラパリョンエスの映画「トラパリョンエスのサッカー王」の監督をしている。
 マンガの訃報に際し、トラパリョンエスのリーダーでお笑い界の大御所〃ジジ〃ことレナト・アラゴンは「トラパリョンエスの映画の監督をしてもらったとき、夢が叶ったと思ったものだよ」と語り、その死を悼んでいる。(18日付エスタード紙などより)