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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第2回=終戦直後のベストセラー

左が初版(1947年)、右が3版(1962年)

左が初版(1947年)、右が3版(1962年)

 サンパウロ州公文書館(Arquivo Público do Estado de São Paulo)でDOPSの岸本調書(10590)を調べたところ、1957年5月21日付けの判決文があった。岸本への容疑は「ブラジルを攻撃し、人種対立を刺激し、日本人の孤立を促進する内容の本を刊行して国益を害した」であり、《帰化権を剥奪した上で、国外追放に処する》ことを連邦公安省が刑事告訴したものだった。
 一移民が書いた本一冊、しかも日本語――。そこに書かれた何が当時の国家安全の〃危険〃と見られたのか?
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 『戦野』初版2千部は47年9月に発行され、10日を待たずして売り切れた。当時の定価約80クルゼイロスは決して安くない。続いて1948年1月に第二版の5千部を再販し、3カ月で3500部が売れたという。戦争中の日本移民迫害の経験を書いた内容への共感が広がり、同胞社会のベストセラーになった。
 それゆえに認識派の一部から「ブラジルを侮辱した」と騒がれ、官憲に手を回された。裁判書類によれば、岸本逮捕は48年3月3日で、その証言から日系書店に2千冊が配本されていることが分かり、同10、11日にはカーザ中矢、太陽堂、平和堂など各書店の在庫もすべて押収され、その経営者も調書を取られた。
 同年4月2日付調書の最後で、カーザ中矢の共同経営者の河野忠重さんは50冊入荷したうち48冊は販売済みと証言。《私は岸本さんの考え方とは反対で、彼の本にはブラジル官憲に関する真実が欠けている。私はブラジル官憲やブラジル国に対するいかなる苦情も常に持ち合わせていない》とある。
 商店は官憲に閉鎖命令を出されれば、それでお終いだ。事実、コンデ街の強制立退き令はつい6年前のことであり、本心ではどう思っていても「お上」にたて突く言葉が言えたはずはない。とはいえ、認識派が大半の商店主も、顧客の圧倒的多数が勝ち組だった当時、彼らに売れる商品であれば扱わざるを得ない事情もあっただろう。
 この時点でDOPSの中でも「Seção de Expulsandos」(国外追放課)のトマス・パウマ・ロッシャ警部補が押収命令を出していることから、最初から「国外追放」を前提としての動きだったことが分かる。
 大ベストセラーを書いた喜びと、それゆえに官憲の弾圧に直面した恐怖――当時の岸本の心中はどんなものだったろうか…。1カ月後には釈放されているが、それからが本当の戦いの始まりだった。48年当時、岸本は働き盛りの49歳だった。(つづく、深沢正雪記者)