月曜朝、診察予約があり、7時前から保健所の列に入って待つ間、少しでも情報を仕入れておこうとしてポ語の新聞を開いたら、「嘘ばっかり書いている新聞なんて読む価値がない」と言った婦人がいた▼日曜日にCPTM11号線に乗った時は、労働者党(PT)と連立を組みながら、自分達の権力を増す事ばかり考えているかの民主運動党(PMDB)絡みの記事やルーラ政権時の暫定令471での不正疑惑の記事を横から覗き込み、文句を言ってきた男性もいた▼最近のジウマ政権やPTに反対するデモなども含め、国民の間に政界への不満がくすぶっているのを感じるやり取りが2日間続き、改めて、為政者の発言や公約、果たすべき責任の重さを痛感した。と同時に「新聞は嘘ばかり」と言わんばかりの件の発言は、日本語ではあれ、新聞社で働く者には少なからず堪えた▼記者や編集者達の目が曇っていれば、目の前の事だけを見て、背後の流れやその意味を見落とし、的外れな記事や時代に逆行するような記事を送り出してしまう可能性も十分ある。選挙時に批判したはずの野党候補の公約に近い政策を現政権が採らざるを得なくなり、社会政策が縮小する様子を「嘘をついた」と見ている人もいるだろう▼猫の目のように変わる情勢に日語新聞まで翻弄された時、購読者から、一貫性がない、意見や視点がぶれているとの批判が出る可能性も否定できない。先の婦人の発言は日語新聞そのものへの批判ではなかったが、診察後は襟を正される思いで保健所を後にした。読者を惑わさないためにも、濁りや偏見のない目で物事を見、判断する力が欲しいと改めて思いつつ、一日が始まった。(み)