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路上生活者から哲学博士へ=授業で身の上話聞かせる教授

 サンパウロ州ソロカバ市の大学に、一風変わった授業を行う哲学博士がいる。「路上生活者だった頃はごみさえ食べた」と語るベネジト・アパレシド・シリノ教授(51)がその人だ。
 同州カンピーナス市で生まれたシリノ氏は、7歳で読み書きを覚え、勉強が大好きだったが、9歳で母を亡くし、家計を助けるために11歳から工場で働き始めた時点で学業から遠ざかった。
 「貧乏人は勉強するより働かなきゃ」といわれて転々と職をかえた同氏は、勤務先の事務所で正式に雇ってくれたらとの希望もかなわず、再生資源ごみを集めて生活し始めた時、誰かが奏でるギターの音を聴きながら星空を眺めていた叔父が、「この星を見ろよ。宇宙の広大さと比べたら俺達はちっぽけな存在さ」と言うのを聞き、かつてないショックを受けた。
 この時から自分という永遠の敵と共生するようになったというシリノ氏は、ショックを引き摺ったまま新聞社で働き始めたが、数カ月で仕事を辞め、手持ちの金で食料を買うと、身の回りの物をまとめ、友人と共にマット・グロッソ州に移った。19歳だった同氏は「もうすぐ死ぬと感じたし、自分の人生は何も変わらないと考えた」といい、3カ月ほど同州で暮らしたが、食料が底をつき、仕事も見つからず、田舎に戻る事にした。
 だが、道中でバスが壊れ、金のないシリノ氏はカバン一つで置き去りにされた。その町の市長に金をせがんで郷里に帰り着いたが、その後も定住する場所はなく、いくつかの州を渡り歩いた。
 クイアバ市で出会った青少年2人とマナウス市まで行く時は金がなく、フェイラ(青空市)の残り物で作ったスープや、ごみの中から見つけた食物、施し物の果物や鶏肉などで食いつないだ。
 3人は昼食はレストランで食い逃げという生活を繰り返していたが、ある時捕まり、暴行後に雑木林に連れていかれ、頭に銃を突きつけられた。
 「殴るなら殴れ。3日も食べずにいたひもじさに比べたら、こんな痛みはなんともない」と叫んだら開放してくれたが、この時改めて、自分が家を出たのはこんな生活をするためではなかったと気づいたシリノ氏は、カバン一つの一人旅を再開。4日間トラックに載せてもらってロライマ州に行く途中、棺を運ぶ〃サルバドール(救世主)〃と呼ばれる運転手に出会い、20歳で放浪しているとこっぴどく叱られため、給油所で降ろされた後、郷里に戻った。
 新聞社に再就職したシリノ氏は、大学生の友人がいる女性と出会って勉学に目覚め、補習校で高校課程まで履修し終えた25歳の時、同市内の大学の哲学科に入学した。
 最初は何もわからなかったが、旅先で見かけた人々を真似て手作りの手工芸品を売ったりして大学を卒業。その後は新聞社を辞め、奨学金をもらって大学院に進んだ。
 修士課程の時に行った講演後、ソロカバの大学でプレゼンテーションを行うよう請われたシリノ氏は、同校教師となり、博士課程も終えた。
 兄弟2人と19歳で生物学を学ぶ娘も学問の道に進んだ事を喜び、学生達の前で自らの体験を赤裸々に語る同氏は、「私を放浪に突き動かしたエネルギーは、私が教え、より良い人々を育てるために凝縮された」とし、「常に何かを知る事を求めるよう学生達に語っている」という。(15日付G1サイトより)