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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第24回=日本移民が抱く故郷喪失感

『バウルー管内の邦人』1頁目。戦前の調査では八割五分が「帰国希望」と回答した

『バウルー管内の邦人』1頁目。戦前の調査では八割五分が「帰国希望」と回答した

 「帰りたくても帰れない」――これを故郷喪失と言わずして何というのか。「ディアスポラ」(離散した者、故国喪失者)という言葉は、日本人には身近ではないが、「生まれた場所を追われて離散し、祖国喪失感を刻まれた民族」を示す。
 一般的にはユダヤ人やパレスチナ人、アルメニア人、時にアフリカから新大陸に連れて来られた黒人、中国から出て行った苦力とよばれる下層労働者を指す。
 『ディアスポラ紀行』(徐京植ソ・キヨン・シク、岩波新書、05年)の著者は在日朝鮮人で、自らを日本に連れて来られた「異邦人」と認識し「コレアン・ディアスポラ」と書く。でも日本人そのものにもその種の人々がいたことにまったく触れていない。戦前の日本移民は「ジャパニーズ・ディアスポラ」そのものだ。
   ☆   ☆  
 日本で「郷愁」という言葉は〃ほろ苦い〃程度のニュアンスで語られることが多いが、ディアスポラの民にとって、郷愁は「精神病」そのものだ。この冷酷な事実が認識できないと、移民の心情は理解できない。
 『ノスタルジアの社会学』(F・デーヴィス、1990年、世界思想社)によれば、ノスタルジアという言葉は17世紀後半にスイスの医師によって考案された言葉で、「家に帰る」「苦しんでいる状態」を意味するギリシア語が起源。《故郷へ帰りたいと切なく恋い焦がれるという意味を持つ》(4頁)。故郷スイスから遠く離れた欧州の専制君主の軍隊に出稼ぎしていたスイス人傭兵に良く見られた症状だった。
 《この病気にかかった者たちの「症状」とは、失意、抑うつ状態、情緒不安定で、なかには激しく泣き出したり、食欲不振、全身的な「消耗」、ときには自殺未遂のものも含まれていた》
 ブラジルで最初に自殺した日本人も「郷愁の病」に犯された末だった。1870(明治3)年、イギリス海軍に派遣されていた日本海軍練習生の前田十郎左衛門は遠洋航海中、バイーア湾に停泊中の旗艦リバプール内で払暁、割腹自殺を遂げた。当時の地元紙には《その唯一の原因とも認むべきは、同士官が永く其の故国乃家人と離れて望郷の念に堪へざりし為なるべく、既に以前より憂鬱症に罹り居りたる結果であろう》(『ブラジル人国記』野田良治、1926年、博文館、326頁より転載)とはっきり書かれている。
 「イギリス士官と口論になり、侮辱されたのを憤慨して切腹した」との憤死説もあり、定かではない。でも〃たった3年〃の留学で、勇猛な薩摩武士ですら割腹自殺する可能性が論じられるほどの病が郷愁だ。
 まして「5年、10年で帰るはず」のつもりで来た一般大衆である移民が、何の心の変調も起こさない方がおかしい。
 高木俊郎著『狂信』(朝日新聞、1970年)のタイトルにある通り、勝ち負け抗争を扱った記事には「日本が勝ったと信じた狂信者」というニュアンスが多い。だが、実際に勝ち組関係者への取材を深めるにつれ、その言葉に強い違和感を持つようになった。(つづく、深沢正雪記者)