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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第25回=不適応という心の傷

最後の勝ち組の活動となった桜組挺身隊を報道するパ紙。「精神分裂症」の文字も

最後の勝ち組の活動となった桜組挺身隊を報道するパ紙。「精神分裂症」の文字も

 1980年にNHKブックスから刊行された『日本人の海外不適応』(稲村博著、以下『不適応』)という興味深い本がある。
 《著者は過去十数年の間に、世界の各地を訪れる機会を持ったが、どこへ行っても不適応現象に苦しむ邦人に出会わざるを得なかった。(中略)不適応現象に陥っている人のいかに多いかに驚かされた》(3頁)とある。80年頃にようやくこの程度の認識が専門家の間に生まれた。ならば戦前、海外での精神障害症候群への理解、社会心理学的な視線は皆無であった。
 この現象が《医学や心理学的な治療対象であることもはっきりした。ところが、本人にも周りにもあまりに知識が不足していて、無為無策のうちにいたずらに事態を悪化させているのである。その結果、しばしば国際紛争にもなりかねぬ危険性すら内包している》(同)。平時の日本人でさえ海外で大量に不適応になるなら、戦争中に連合国側にいた日本移民の多くは不適応現象を起こしていたに違いない。
 海外における不適応現象が病気にまでなった時、どんな精神障害を生じるのか。《これ(精神障害)はどの国でも想像以上に多くみられる。診断名としては躁うつ病、精神分裂病、神経症などがある。そのうち神経症としては、不安神経症、心気症、恐怖症などがあげられる》(19頁)。その結果、自殺や殺人事件などの犯罪にも繋がる傾向がある。
 NHK『遠い祖国』(2014年8月放送)の中で、臣道聯盟の幹部だった渡真利成一の次男澄男が、父のことをこう回想している。
 「父はいつも日本から迎えの船が来て『ブラジルに日本人全員を連れて帰ってくれる』と言っていました。現実は全く違っていましたけどね。両親の夢は日本に帰ることだったんです」「そして最後には『空飛ぶ円盤にのって、宇宙人が迎えに来る』なんていって、頭がおかしくなっていた。かわいそうですよね。父は生まれ故郷の宮古島の美しい海岸を夢見ていました。でもその夢は実現しませんでした」と語っている。
 勝ち組の悲願は常に「日本帰国」だった。その最後が55年に桜組挺身隊が起こした帰国請願デモ行動だ。渡真利はその指導者のひとりでもある。彼は20年以上にわたり帰国運動をしたが、1984年に当地で亡くなった。桜組挺身隊事件の主張「総引揚嘆願書」の論理を理解するのすら困難だ。
 《我々桜組挺身隊は不肖僭越を顧みず、三年間に亘って、在伯四十万同胞のみならず海外在留七十万同胞の総引揚と本国帰還をブラジル政府と国際連合とそして日本政府に訴えて参りました。(中略)この我らの十数年来の宿望は民族的血をすべて駆りたて燃上らせてあえて今日の挙を起こしました。それは単なる我らの主張に非ずして自己改造に基ずくブラジルと世界の全面的解放と根本的革新を決行して、全人類がその心情と知性を高めて協力協働する真正平和世界の基礎を確立する国際連合の精神と目的とをもつものとして奮起し闘い来ったものであります》
 たとえばイタリア移民であれば〃渡り鳥移民〃として渡航先を変え、帰国したであろう状況でも、移住慣れしていない日本人の場合は留まった。というか、留まらざるを得なかった。その結果、多くの不適応者が生まれたはずだ。(つづく、深沢正雪記者)