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上地さん、比嘉さん、島袋さん
上地さん、比嘉さん、島袋さん

3度目の正直?! BEGINに独占インタビュー=「帰郷」や「シュハスコ」など移民にまつわる曲を続々と発表

 3度目のブラジル公演を成功させた沖縄県出身の人気バンド『BEGIN』。10日にサンパウロ市内ホテルで本紙単独取材に応じ、ブラジルに対する印象や、先日発表されたブラジルの超有名セルタネージョデュオ「シタンジーニ&ショロロ」との共演について話した。

BEGIN…比嘉栄昇(ひがえいしょう、ボーカル・ギター)、島袋優(しまぶくろまさる、ギター・コーラス)、上地等(うえちひとし、電子ピアノ・コーラス)の3人組みアコースティックバンド。89年に結成以来、30枚以上のアルバムを発表している。

3回目の訪問の感想を一言教えてください。

島袋「日本の反対側のブラジルでこんなに大きく沖縄祭りが行われていることに1番びっくりしました。僕が感じたのは沖縄県人の方々が、すごくブラジルに馴染んで生活してきたおかげで、僕らを呼んでもらえたんだなと強く感じました。おかげでブラジルのこと凄く好きになった。先輩に感謝です」

 

[su_heading size=”16″ margin=”10″] 「来るたびに、どんどんブラジルが好きになっている」[/su_heading]

ブラジルには慣れましたか?

上地「来るたびに、どんどんブラジルが好きになっている。そして来るたびに思うのが二、三、四世の皆さんが日本というものを大事に思っていること。100年以上も昔に日本から来たの、に今でも日本の心を大事にしているのを凄く感じて、そこらへんを僕らも学びたい」

ブラジルにBEGINファンを増やしていく作戦はありますか?

インタビューを受ける比嘉さん

インタビューを受ける比嘉さん

比嘉「一切ないです(笑)。自分たちが何故ここにいるかを自問すると、ブラジルと日本の思いを届ける、歌を通して思いを一つにするためだと思う。
 今年ブラジルに来て、沖縄祭りのステージに立たせていただいて思ったのは、日本に置き換えたときに、こんなにたくさんのブラジルの方々が日本中で集まってお祭りをしていて、日本の人達はどうするんだろうか。こんなに寛大に許してくれるんだろうかと。
 これは本当にブラジルっていう国が持つ大きさと懐の広さ。そういうことにもっと僕らはちゃんと目を向けて、それを肝に銘じて活動していかなければいけないなと強く思いました」

今年6月に「うたの日コンサート2015」で「オズワルジーニョ・ダ・クイッカ」、そして今回「シットンジーニ&ショロロ」とブラジル人アーティストとの共演が続いているが、何を目標にしていますか?

島袋「まず、オズワルジーニョ・ダ・クイッカさんはブラジルにとっての宝のような人じゃないですか。そんな人と出来るのが不思議だったんですよ。石垣島っていう本当に小さな、ブラジルの何千万分の一くらいの小さな島で生まれて、こうやって坂尾さんとマルシオ(※1)のおかげでオズワルジーニョさんと出会えて、しかも沖縄という場所で共演が出来てということに、僕は本当に感動だったし、演奏が始まったときは本当に鳥肌が立ったんですよ。
 こうやって繋いでくれた縁に恩返しできるとすれば、それは音楽でしか返せないと思っているので、自分達が3人でそのオズワルジーニョさんたちから頂いた音を、BEGINの中でどうやって表現していくかっていうのが目標だと思う。自分達の音楽で恩返し出来たらなと思います」

比嘉「音楽を職業にしているので、ちゃんと家族が食べていけるだけのお金は、音楽で稼がないといけないという大前提があるんです。けども、そのオズワルジーニョさんとかネイさん(※2)とか、ブラジルのいま一緒に関わった方々と接して感じているのは、やはりそのブラジル人でも日本人でもどうでもよくて、音楽人っていうのは一つの〃人種〃。
 何をしたいのかって言うと、やっぱり暮らしの中で音楽によって、苦しいことも悲しいことも、楽しいことはより楽しく出来る、全ての人に音楽が受け入れられることでは無いんだけれども、音楽があることで、きっと世の中明るくなるんだということを、僕達は使命としているのを、音楽人として凄く感じている。だから、そこで僕らは惹かれあっているんじゃないかなと思います」

※1坂尾英矩
ブラジル音楽評論家。木本マルシオ 「シットンジーニ&ショロロ」との共演でブラジル側でコーディネーラーを務めた「ウェルカム・プロ」社代表取締役。
※2ネイ・マルケス:ブラジルの音楽プロデューサー。「シタンジーニ&ショロロ」との共演でプロデューサーを務める。

シタンジーニ&ショロロとBEGIN共演のきっかけは?

上地「何よりも坂尾さんと出会っていろんなブラジルの音楽を知って、興味を持ち始めました。その中で坂尾さんの紹介でショロロさんを紹介してもらってそれで、そのとき僕は初めてショロロさんの音楽を聴いたんですよ。
 いろんな映像を見ている中で、ショロロさんたちは自分達の地元をちっちゃい町だからというようなことを言ってたんです。僕らも石垣島に育って、地元に根ざした音楽、ルーツミュージックが感じられた所が凄く似てるなと思いました」

比嘉「シットンジーニ&ショロロさんを知れば知る程、これは大変なことになったと。これはどうしようかとサッカーで言うところの小学生とプロのチームが一緒に試合しようぜみたいな(笑)。戦うわけではないけど、僕らにそれだけの器があるのかっていうのがすごく不安でしたよ。今でもそうですけど(笑)」

シタンジーニ&ショロロの作品で気に入った曲はありますか?

比嘉「タイトルはわからないけど多分、ほとんどの曲を聞きました。アコースティックギターとかガットギターを持って、小編成でやっている昔ながらの歌を歌っているシタンジーニ&ショロロが僕は大好きです。

次、ブラジルには何時来れますか?

比嘉「僕らとしては何時でも来たいけど、まだ日系人の方々へっていう発想しか持てていない。発想がまだ小さいので、質問に応えられるかわからないんですけど、ブラジルには沢山の素晴らしい歌手がいます。
 そういう方々に対して、僕らが少しでも道を歩きやすくして、行き来しやすくなれば本当にいいと思います。沖縄の石垣島って言う小さな島で生まれ育ったものとしては、やはり楽しい物はみんなで分け合うっていう気持ちが叩き込まれているので」

海外公演で最も多い国はどこですか?

島袋「アメリカが一番多いかもしれない。最初に海外でやらしてもらったのもハワイ。その時も移民の方の話になるんですけど、戦後、石垣島に豚がいなくなってしまって、それでハワイから550頭の豚を沖縄本島に届けてくれたんですよ。それを知って、いつかもし三人でハワイに行く事があれば、遊びじゃなくてちゃんとライブをしに行こうなってことを決めてあったんです」

ペルーでは何を?

島袋「それも県人会に呼んでもらってお祭りですよ。びっくりですよ僕らも」

比嘉「海外公演ってなると真っ先に反対するのが僕なんですよ。僕は石垣島で住んでいるので、島を離れるのが嫌だと。東京にでるのも嫌なんだと(笑)。それをブラジルってなったら…。ブラジルは好きなんですけど、とにかく島を離れるのが不安なんです。やっぱり島の人間は。気持が小さいもんで、不安でしょうがないからやめようっていうんだけれど、県人会の方の最後のトドメを刺される言葉で、『自分のばあちゃんがいつまで生きられるかわからない。生きているうちに来てくれ』て言われると、『わかりました』って言うしかないでしょ(笑)」

今日までの滞在の中で印象に残っている事は何ですか?

上地「やはり、シタンジーニ&ショロロさんとレコーディングをやったこと。こんな夢みたいなことは無かったし、緊張したし、幸せな気分だった」

2人とは何を話しましたか?

比嘉「ギターの話とかをさせていただきました。十弦ギターの話とか。実際に弾いてみてくれて、『これは昔ながらのブラジルにある楽器なんだ』と教えてもらいました」

島袋「あと、日本に行ってみたいとか。まだ行かれたことが無いみたいで、『是非きてください』って言いました。『君らはルーツと言うか、音楽の向かっている方向が凄く似てる』って言ってもらいました。自分たちのルーツミュージックから発展してった音楽って言うか。そういう音楽的な話もさせてもらい、刺激になりました」

坂尾「一番強い印象的な言葉は、2人が『兄弟が増えた』って言ってことだね。」

3人揃って「ありがたいじゃない。」

今回のライブはどんな意気込みで臨んみましたか?

比嘉「まず、2日間あると言うことで、2回のステージをどうやって色を変えてやっていくか。とにかくBEGINの為に集まったのではなく、沖縄祭りのために集まった方々にどう喜んでもらうか。自己満足にならない様なステージングを心掛けました。だからやはり『助かったなぁ』と思ったのは、エイサー隊の方々がいらっしゃったことで、上手く言葉では伝えられない気持も伝えてくれたので、それがすごく有難かったです。

祭太鼓も一緒に楽しむ

祭太鼓も一緒に楽しむ

 それから友人のカバキーニョのアンドレが『BEGINがライブやるんだったら、俺もやるぜ』って言ってくれて、チェロのリマさんも加わってくれました。
 当初予定していなかった仲間が向こうの方から率先して参加してくれて、そして、沖縄から宮城姉妹(※3)もきてくれましたしね。だからやっぱり祭りのステージっていうものが、彼ら、彼女たちみんなで表現させて頂いたんだなと思いますね」
※3宮城姉妹 沖縄在住の姉妹サンバユニット

軽快にウォッシュボードでリズムを

軽快にウォッシュボードでリズムを

 

[su_heading size=”16″ margin=”10″] 「(ライブの最初に客席から)『おかえり!』と声をかけられ、やっぱり嬉しい」[/su_heading]

ライブの始めに「おかえり」と声をかけられてどう思いましたか?

上地「やっぱり嬉しいですよね。『おかえりなさい』と言われることが、仲間と思ってもらえるのであれば、本当にうれしいことだし、実際に3回来ると仲間がだんだん増えてきていきます。
 県人会の方、日系の方だけじゃなくて、ブラジル人のミュージシャンにもまた会いたいと思う方が増えてくるので、またライブとかだけでは無くて、純粋に友達に会いに来たいなと思います」

7日のライブの様子

7日のライブの様子

来年は沖縄の本部が90周年。

3人『えぇぇぇぇーーーー!!(笑)』

さらにビラカホン支部も60周年。

比嘉『来年呼んでくれれば良かったんじゃないですか?(笑)』

沖縄本部は知事を招いての記念式典も予定。皆期待しています。

比嘉『期待してもらえるのは嬉しいですよ。嬉しいですけど。俺らでいいのかなっていう』

島袋「来年はオリンピックもあるし、盛沢山過ぎるだろ(笑)。でも、本当に自分たちで出来ることがあれば、やるつもりでいます。だけど遠い分だけ色んな事が合って大変じゃないですか。時間もお金もかかるし。そういう意味では…でも、やっぱり、やれることはやりたいなと思いますね」

ブラジル移民をイメージした「帰郷」や「シュハスコ」など移民やブラジルにまつわる曲作っていますね?

比嘉「コンサートでブラジル人の方が増えました」
島袋「あれびっくりだよな。『サンパウロから来たぞー!』って」
比嘉「移民の方々の話をさせていただいたり、帰郷を歌わせてもらってることで、日本にいい影響もあるだろうと考えます。日本はやっぱりどうやったって島国ですし、想像力が段々と狭くなっていく。視野が段々と狭くなっていった時に、『ブラジルには日系の方がこんなに沢山いるんだよ』ってことをお話しすると、きっと心の中がふわっと風通しが良くなる思うんです。
 だから日本のコンサートの時にも日系の方々が頑張った話をこれからもしていきたいし、逆に日本の方々の思いみたいなものをブラジルに届けたい。だからそんな少しずつ、薄くですけど、そういう使命感みたいなものが、ちょっとずつ積み重なってきているような、そんな気持ちが『ブラジルに来たい』って気持ちに繋がっているような気がします」

比嘉「あれだけの人が集まりながら、ちゃんと皆規則を守って最後までしっかり、コンサートを皆で作っていくっていうのは、やっぱり日本の大事な部分だと思うんですよね。
 やっぱり日本人としては『素晴らしい、美しい光景だな』って思うし、両方兼ね備えているブラジルの日系社会の方々はやっぱり凄いと思います」

1万人でカチャーシー

1万人でカチャーシー

曲名になっている『シュハスコ』の本場、南大河州からバスで20時間かけて来たブラジル人ファンが「来て欲しい」と言ってます。

島袋「しかと受け止めました」

 

[su_heading size=”16″ margin=”10″] 「(ブラジルの)沖縄ソバは、意外と美味しかったです(笑)」[/su_heading]

沖縄料理食べた?

島袋「沖縄そばを」
上地「沖縄そばもヒ―ジャー汁も食べました。ヒ―ジャーは本当に美味しかった。やっぱり肉の扱い方が上手なのかなって。本当に沖縄で食べるよりも癖が無いような感じがして、沖縄で食べるともっとこうがっつりとヤギって感じがするんですけど、それが薄まってとっても食べやすかったです」

沖縄そば 島袋「そばは、こういう言い方したら物凄い失礼ですけど、意外と美味しかったです(笑)」
比嘉「コラっ!(笑)」
島袋「本当に美味しかった。アレっとおもいましたもん。本当に(笑)」
比嘉「罰があたるよ」