沖縄県人会サントアンドレー支部(儀間マリオ会長)は「創立60周年」「第35回敬老祝賀演芸会」「うるま婦人会45周年」「老荘会25周年」の記念式典を15日午後3時からうるま会館で開催した。会場を満杯にした約300人は、式典後、6時過ぎからは伝統芸能を夜9時半頃までゆっくりと堪能した。
会場の前半分は80歳以上の101人のための敬老席が占めた。その中には来月103歳になる新城トシさん(名護市)の姿も。儀間会長は「移民107年の歴史に皆で新しい一章を書き加えている。私は笠戸丸移民の子孫として、この日を迎えられたことを誇りに思う」と挨拶した。
祭典実行委員長の宮城あきらさんは、当市最初の県系人入植者が、サントス強制立退き(1943年)の末に翌年たどり着いた大城助一・ウト家族であり、戦後移民が押し寄せる機運の中で55年に創立し、66年に会館建設につながった歴史を振り返った。更に4つの記念事業として「功労者の表彰」「トイレの改修と地下排水管工事」「台所移設や小2階増設など」「門前にイッペーと沖縄桜の植樹」と実行中だと報告した。
うるま婦人会の玉城安子会長も「記念事業の資金集めに婦人会は率先して協力している。より良い会館に増改築して、我が子や孫たちの未来に贈りたい」とのべた。うるま老荘会の糸洲三郎会長は「老荘会をより活気づけるために会員数を100人にしたい。新規加入を」と呼びかけた。
サントアンドレー日系連合会の喜納ジョルジ会長、ペドロ・デ・トレド市長代理のカワタ・セルジオ市議の祝辞の後、80歳以上の氏名が読み上げられ、中でも100歳以上の3人には表彰状と記念品が贈呈された。
歴代支部長・婦人会長、10年以上金勤続の区長、芸能・文化団体ら功労者・団体等への感謝状贈呈が行われた。同会館で卓球を練習してラ米優勝を果たした仲田なおみ(17)、南米1位になった木元あゆみ(13)、サンパウロ州1位の内間ひかり(15)3選手にも功労表彰が渡された。
最後に、国郷ノリヤス元下議から山城勇支部相談役にグランクルス章が伝達された。山城さんは「感激している。次の70周年、80周年に向けてがんばって」と謝辞を語った。島袋栄喜県人会長は「数ある支部の中でもウチナーの心を大事にし、県人会の大きな支えとなっている。ここは住み心地が良いから101人も高齢者がいる。これからも沖縄のチムグクル(●)を若者に植え付けて」と称賛した。
その後、祝賀演芸会となりサントアンドレー古典音楽愛好会、琉舞玉城流てだ伯洋の会、琉球民謡愛好会、空手剛柔流山内盛宏道場など多数の芸能・スポーツ団体が日頃の練習成果を披露し、カチャーシーで盛り上がる中、終幕した。
□関連コラム□大耳小耳
沖縄県人会サンドアンドレ―支部70周年の敬老席にいた高良アレシャンドレさん(85、二世)に感想を聞くと、「このような行事は大切だ。若者は行事がなければ文化に触れる機会もない。行事を重ね、人が集まり続けることで、沖縄の文化や記憶が継承される。その基礎が会館だ」と知的な回答がかえってきた。訊けば、元大学教授だとか。同支部は人数の動員力だけでなく、集まっている人のレベルもなかなかのモノ。
■ひとマチ点描■コロニアで最も元気な103歳
「1912年12月12日生まれ、なぜか12続き!」とカラカラと笑いなら自己紹介するのは、来月103歳になる新城トシさん(名護市)だ。数え年●なら104歳だ。
沖縄県人会サントアンドレー支部の記念式典に自ら歩いて出席した。眼鏡も補聴器も付けず、記者と会話し、毎日カーベットや座布団をミシンで作って婦人会に寄付している。
「独身時代、沖縄で裁縫を習ってきたからミシンも筋金入りよ」とはるか90年近い昔を振り返る。名護で学校を卒業した後、神奈川県川崎市の川崎紡績に出稼ぎに行き、1936年に家族で渡伯した。ジュキア線アナジアスでバナナ作りをした後、同地に転住した。
子供10人、孫25人、ひ孫12人。次女の愛子さんは「母は野菜大好き、肉は良く煮込んだものを少しだけ」と長寿の秘訣を披露した。現在、コロニアで最も元気な103歳かも。皆さんも菜食長寿に兆戦しますか?(深)