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光はやみの中に輝いている

 クリスマス(ナタル)の飾りが随所で目立ち始めた。11月27日のブラック・フライデーを利用して贈り物を買った人も多いようだが、11月29日からは待降節(アドヴェント)も始まった▼待降節はナタル直前を含む4回前の日曜日に始まり、キリスト誕生の場面を象るクリブを飾り、常緑樹で作った飾りに点すローソクを毎週1本ずつ増やしていく教会が多い。ローソクは「このいのちは人の光であった」「光はやみの中に輝いている」と書かれているキリストの象徴だ▼キリスト誕生の頃、ユダヤ人達はローマの支配下で希望のない生活をしていた。死と罪と絶望の暗闇に天から光がさしたというのがキリスト降誕物語だ。だが、11月に起きたミナス州の鉱滓ダム決壊、パリやナイジェリアのテロ事件、リオ市での軍警による青年殺害などを思う時、2千年以上前のユダヤ人と現代の自分達は近い状況にいるのかと感じてしまう▼突然起こる災いになす術もなく立ち尽くす姿が、暗闇の中にいると表現されたユダヤ人の姿に重なるのだ。今年のブラジルは汚職告発や景気後退などもあり、なおさら重苦しい雰囲気が漂う。仕事があり、健康が守られているだけで喜ぶべきという人がいるのも頷ける現状だ▼身近な人を失い、これからの生活さえ危ぶまれる中で、ナタルが近い事さえ忘れている人もいるだろう。パリのテロの後、目隠しをして「私はイスラム教徒です。私を信頼してくれる人は抱擁して下さい」と書いた紙を傍に置いた人に、老若男女がハグをする様子も報道された。微笑みさえ失くしかねない世相だが、一人でも多くの人々が生きる望みと真の光を見つけて欲しいと改めて願う。(み)