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藤田朝日子『赭き大地を』=亡妻に捧げる自選歌集

「3年後にもう一冊出したい」と意欲的な藤田さん

「3年後にもう一冊出したい」と意欲的な藤田さん

 「この年で、生まれて初めて本を出しました」。そう言って、少し恥ずかしそうに自選歌集『赭き大地を』を見せるのは、91歳の藤田朝壽(とし)さん(愛媛県北宇和郡、スザノ在住)。筆名は「藤田朝日子」(あさひご)。
 「亡き妻に捧げるために作った。妻は『あんたは人の歌ばっかり添削して、どうして自分の歌集を出さないの』といつも言っていたから」と少し照れくさそうに笑う。妻智奈子さんは11年前、74歳で亡くなった。
 書名は日本での出世作、2007年に明治神宮特選になった《アマゾンもインカも知らずブラジルの赤き台地を妻と耕す》からとったもの。18歳でチエテ移住地の歌人・志津野華絵に師事して以来、詠み続けてきた作品から約1000首を選んで掲載されているが、入選成績は記されていない。理由を問うと、実直な藤田さんらしく「書き込むのイヤだから」。
 掲載された6編のエッセイの中には、志津野華絵から「一生短歌を持ち続けること、俳句には手を出さないこと」の約束と引き換えに、師事を許された経緯も記されている。〃幻の歌集〃「寄生木」が《三号誌で終止符を打つ》までの歴史も貴重な証言だ。
 いずれも当時の移住地の雰囲気がよく現された逸話ばかり。中でも戦争さなかの1944年7月、「敵中横断三千里」さながらに移住地から青年6人が早朝、馬に乗ってペレイラ市の鈴蘭商店まで行き、こっそり『万葉集評釈』、谷崎純一郎の『文章読本』、福沢諭吉の『人生読本』などを段ボール箱2つ分買い、通りに人気のなくなった頃に引き取りに行き、無事に移住地までたどり着く件などは手に汗握る。最後の移民船の荷物で、警察に押収されないように、ある邦人商店の地下室の倉庫に眠っていたものを引き取ったとか。〃日本語受難時代〃を彷彿とさせる。
 コロニア出世作を尋ねると『ブラジル日本移民祭 賛歌』(70周年)を上げた。わざわざ曲(光田八千代作曲)も付けられたが、合唱の練習時間が間に合わず残念ながらパカエンプー競技場でお披露目されることはなかったという。
 亡妻に捧げた歌集らしく《歌だけが我が生甲斐今日よりは妻恋ひの歌詠みつぎゆかむ》《町住みの娘のアパートより帰りまづ仏壇の花をとり替ふ》なども。
 「志津野先生の弟子は十何人いましたが、最後まで歌を作っているのは僕だけ。日本語の勉強のためだから終わりはありません」。72年にスザノ郊外で果樹栽培に。椰子樹同人、八巻耕土主宰のスザノ短歌会に入会し酒井繁一の指導を受ける。2010年からサ紙歌壇選者に。現在は日本の短歌結社詩『まひる野』で橋本善典さんに師事する。
 同歌集に関する問い合わせは電話(11・4746・3674)まで。