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15年に獲得した、トロント汎米大会での銅メダルと伯国ラグビーMVPのトロフィーを手に笑うパウリーニャ(Texto, Foto: Kimio Ido)
15年に獲得した、トロント汎米大会での銅メダルと伯国ラグビーMVPのトロフィーを手に笑うパウリーニャ(Texto, Foto: Kimio Ido)

リオ五輪=ブラジルNo.1ラガーウーマン=楕円球に夢賭けて=日系女性パウリーニャの挑戦

 2016年はいよいよリオ五輪の年――世界中のスポーツ競技者にとってリオは夢の舞台だ。女子7人制ラグビーブラジル代表(セレソン)のキャプテンとしてチームを牽引する日系人選手パウラ・イシバシ・ハルミ(愛称パウリーニャ、30、三世)は、開幕の日を心待ちにしている。(井戸 規光生記者)

自宅で家族と笑顔を見せるパウリーニャ(右端)

自宅で家族と笑顔を見せるパウリーニャ(右端)


 インタビュー直前、12月14、15日にリオで行われた「プレミオ・ブラジル・オリンピコ」で、3年ぶり2度目、ブラジルラグビー部門年間MVPを受賞した。そのトロフィーを小脇に抱え、インタビュー会場のサンパウロ・アスレチック・クラブ(SPAC)のラウンジに現れた〃ラグビー界の女王〃は、身長156センチと意外なほど小柄だった。当日リオから帰聖した疲れも見せず、穏やかな笑顔をうかべた。
 「この賞は男女の別なく、全伯ラグビー界から1人だけ選ばれるの。ラグビーMVPだからどんな大男が現れるかとみんな思っているたらしく、小柄な私が現れてびっくりしていた」と愉快そうに語る。
 1985年2月14日、日系二世の父ジョルジ・テルオ・イシバシ(71)とイタリア系の母フランシスカの間にサンパウロ市で産まれた。パウリーニャは幼い頃から運動神経抜群で様々なスポーツに親しんで過ごした。
 「両親はそれほどスポーツが得意ではなかったけど、祖母(故・山崎かなこ、1921―06・愛知県)は運動が得意で、その血を引いたんだと思う」と語る。ハンドボール、バレーボールなどに親しんでいた。
 「公立中学校時代の体育教師のルイス・カルロス・シルバ先生は、生徒にいろんな種目をやらせて、どんどん力を伸ばしてくれた。彼の元から育ったのは私だけじゃない。去年メジャーリーグでワールドチャンピオンになったロイヤルズのパウロ・オルランドも同級生」と意外なルーツを明かしてくれた。
 ラグビーとの出会いは15歳の時、友人に誘われて、自宅近くのSPACに入ったことがきっかけだった。

奴隷解放令と同年誕生の伝統あるクラブ

SPACでラグビーを始めた頃の思い出のユニフォーム

SPACでラグビーを始めた頃の思い出のユニフォーム

 SPACはただのラグビークラブではない。奴隷解放令と同じ1888年に誕生し、以来127年を超える歴史を持つ、サンパウロ市最古のスポーツクラブだ。「そんな伝統あるチームが自宅のすぐそばにあったのも何かの縁」とにこやかに笑う。
 19歳でセレソン入りを果たしたパウリーニャは、現在に至るまで女子ラグビー界の一線に立ち続けている。「30歳だから、チームの中では最年長。でも、まだまだ若い選手には負けてないわよ」。日焼けした肌に白い歯を覗かせた。
 ブラジルの女子ラグビー界では、7人制のみがプレーされている。競技人口がそれほど多くないため、7人制のほうがチーム編成しやすいからだ。パウリーニャのポジションは5番のフライハーフ。スクラムから出たボールを最初に受け、攻撃の指揮を握る重要なポジションだ。
 「分業制に近い15人制と比べて、7人制は万能性が求められる。1回防御を突破されたら、大きく前に進まれてしまうから、15人制よりもボール保持が重要になる」と7人制の特徴を説明した。
 現在のブラジル女子代表は南米最強を誇るものの、北米の米国、カナダの後塵を拝し、昨年6月の汎米大会では銅メダル、世界全体では10位前後の位置づけだ。


五輪集中強化合宿を経て選ばれる12人

 セレソンは五輪集中強化合宿に入っており、練習は月曜から金曜、午前7時半から午後3時とハードスケジュールだ。
 全伯から集められた25人の選手がサンパウロ市で合宿生活をしているが、練習場が近いパウリーニャは自宅からバスと鉄道を乗り継いで通っている。
 今後、サンパウロ州バルエリ、米国、カナダ、フランスと国際大会が組まれており、そこでのプレーで選抜され、最終的に五輪に出られるのは12人だ。
 「みんないろんな物を犠牲にしてラグビーに打ち込んでいる。誰だって落選したらショックだけど、それは五輪を目指す代表チームの宿命。どの競技でも同じ。みんな覚悟は出来ているはず」と顔を引き締めた。
 国際大会では日本チームと対戦する事も多く、「多くの日本の選手がイシバシさん、イシバシさんと慕ってくれる。みんなと仲良し」と顔をほころばせる。
 15年9月W杯ラグビーでの日本の活躍についても、「凄くうれしかったし誇りを感じた」と語る。
 現在30歳の彼女は、リオ五輪を最期に一線を退くつもりだ。「国際試合で世界中行ったのに、まだ日本には行ったことがないなら、東京五輪を目指したら?」と水を向けても、「SPACでのプレーは続けたいけど、代表は身体が持たない」との辛い胸中を語る。
 リオ五輪の後は、2010年までラグビーと〃二足の草鞋〃で続けていた広報の仕事や、後進の育成やコメンテーター、ラグビー振興に関わる仕事等に就く希望を持っているが「とにかく今はラグビーに集中。先のことばかり心配しても仕方ない。順位やメダルは約束できないけれど、地元の観衆の応援を受けて一つでも上の順位を目指したい」と抱負を語った。