12日付のサンパウロの2大新聞、フォーリャ紙、エスタード紙両紙の一面の半分は、イギリスのロック歌手、デヴィッド・ボウイの死亡記事が埋め尽くした。
ボウイは、ロックの音楽的可能性を開拓しただけにとどまらず、ミュージック・ビデオや映画、ファッション、アートに至るまで、強い影響力を誇っているため、その死は無視できないものとして扱われている。フォーリャ紙は4頁、エスタード紙は3頁にわたり、彼の足跡を追う記事を組んでいる。
ただ、それらの記事はブラジル人音楽家の追悼の声を拾っておらず、ブラジル国内での反響がわかりにくいが、ブラジルでも多くのミュージシャンがソーシャル・ネットワーク・サービスなどで追悼のコメントを行っている。
ブラジル産の世界的なヘヴィ・メタル・バンド、セパルトゥラの元ドラマー、イーゴル・カバレラは、インスタグラムに同バンドが96年にスペインのフェスティバルで共演したときのポスターを掲載し、「あなたと同じステージに立てて幸せだった」と、感謝を口にした。
また、2003年にアメリカ映画「ライフ・アクアティック」のサウンドトラックでボウイの曲を全編、サンバやボサノバ調にカバーしたセウ・ジョルジは、ツイッターで「僕の人生を変えてくれてありがとう」とツイートした。
また、60年代のオス・ムタンチス時代からブラジルのロックの女王として知られるヒタ・リーは、1974年にロンドンでボウイのライブを体験し、90年に行われた初のブラジル公演の際には一緒に写真にも収まったという筋金入りのボウイ・ファンだ。
ヒタはボウイのTシャツを着てインスタグラムに写り、哀悼の意を示した。また、面白い発言で知られる彼女は「ケム」誌の取材で、「私もボウイも本名はジョーンズっていうのよ。親戚なんじゃないかと思うことがあるの。ベト(息子でミュージシャン)の顔も似てるし」と語っている。
また、80年代の伝説のバンド、レジオン・ウルバーナのギタリスト、ダド・ヴィラ・ロボスはツイッターで、「ジョーイ・ラモーンもルー・リードも亡くなって、今度はボウイか?」と、自身のロックのヒーローが亡くなって行くことを嘆いた。
同じく80年代の人気ロック歌手で、近年はベストセラー作家、反政府的発言で話題のロボンも「俺が最初に行ったコンサートは、ボウイの74年のニューヨーク公演なんだ」とツイートした。
21世紀以降、ロックの女王的人気のピチィもツイートで「嘘でしょ?何日か前にアルバム出したばかりじゃないの」と、予想だにしなかったボウイの死に、驚きを隠せなかった。
そのほか、ジルベルト・ジル、パララマス・ド・スセッソ、カピタル・イニシアル、スカンキ、日系人のフェルナンダ・タカイ擁するパト・フーなどがSNSを通じて追悼のメッセージを発表している。