ホーム | 文芸 | 連載小説 | チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽 | チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(2)

チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(2)

 ここで負けてはいけない。と私は下腹に力を入れて「日本語の勉強のためにと考えた上、決心したのですから絶対に大丈夫です」と力強く言うと、
「そう、日本語の勉強のためにと言われるのであったら考えなくてはねぇ」と華絵はしばらく思案していたが、「それでは私と二つのことが約束できますか」と問はれる。
 二つの事とは?
「一つはねぇ 一生短歌を持ち続けること。今、一つは俳句には手を出さない、ということ。同じ短詩型文学でも、短歌と俳句では発想と表現が異なるのです。短歌を作り、俳句も作ったりでは、どっちつかずになって仕舞って上達は望めない、二兎を追う者は一兎をも得ず。と云う諺を知っていますね。
 ですから、最初言ったように『一生短歌を持ち続けること、俳句には手を出さないこと』、この二つのことが固く約束出来るのでしたら及ばずながら手ほどきをしましょう」と言われるのであった。
 私は即座に「大丈夫です。固く約束します。短歌一筋に勉強しますからどうかよろしくお願いします」と言って頭を下げた。
 こうして、とうとう短歌の手ほどきをして頂くことになった。
 私は喜びに胸をふくらませて馬に乗って帰路についた。
 その翌晩から机の上に白紙をおいて指を折りながら三十一文字に取り組んだものの、何といっても小学校中退の身には三十一文字にまとめるのに非常な苦心と努力を要した。一カ月ほどかかって、やっと五、六首ものにすることが出来た。私は喜び勇んで志津野家ヘ行った。
 華絵は作品を一首一首音声に出して読みあげ、ここのテニヲハは間違っているから、ニに直してとか、わずか十分そこそこで作品は一読して誰にでも分かるようになる。私は魔法にでもかかったような気分になり感心して歌稿に見入った。

 華絵は部屋から一冊の本を持ってきて「この歌集はサンパウロ州新報社が出版したコロニアでは初めての(合同歌集)です。貸しますから持って帰って読みなさい」と言われる。手に取って見ると表紙に「移り来て」とある。
 一人二十首の出詠で歌人の写真入りでなかなか凝った装丁であったと記憶している。
 短歌は添削して頂いた。歌集も貸していただいた。私は大喜びで何度もお礼を言っておいとました。
 翌晩から合同歌集「移り来て」に読みふけった。
 華絵作品は特に心をこめて繰り返して読んだ。「移り来て」の中に今でも記憶している短歌が一首あるので左に記す。
        金子 秀雄

  原始林に今落ちてゆく太き陽よぽさりぽさりと蟻は棉切る

 私の家の棉畑は奥の方が片側原始林ぞいであったので、夕方になるとサウーバが巾十センチ以上の芥ひとつない径を大名の行列まがいに出てきては秀雄の歌のごとく棉を切るのであった。
 次に貸して頂いた歌集は小田切剣の自筆自選の歌集「蟷螂」であった。
 「蟷螂」の中に私好みの短歌が二首あった。今でも記憶しているので左に記す。
  夕雲の朱くなびける牧原を一人行きつつ物思う身は
  君住める西空遠く夕焼けて一人の我の今日も旅行く

 この甘美とも云える短歌が好きでよく口ずさんだものである。