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NHK歌謡コンサートに出演したエドアルドさん、一問一答

ブラジル出身の男性演歌歌手エドアルドさん(32、プロダクションオーロラ所属)。2015年10月にテイチクレコードより「母きずな」でデビュー。歌詞の内容は、生後すぐ日系人家庭に預けられた彼自身の人生がベースになっている。すでにNHK歌謡コンサートに2回出演し、その歌唱力に対する評価も高く、リオ・オリンピックが開催される今年、特に活躍が期待される逸材だ。

このページでは、デビュー直前の2015年10月9日、エドアルドさんがメールで回答した一問一答を、ほぼ原文のまま掲載する。

エドアルドさん

エドアルドさん

1、出身地、生年を教えてください。

サンパウロ、1983年。

2、なぜ演歌が好きになったのですか?

母方の叔父(勝弘)がもともと日本の演歌が大好きで歌っておりました。
家では日本のテレビの歌番組をテープで撮っており、ずっと見ておりました。
その叔父の影響を受けて歌が好きだった僕はカラオケ大会に出場するため、歌のレッスンを受けることになりました。

3、演歌の魅力はどんなところですか?

日本人の心、そのもの。世界に一つしかない楽曲や日本の楽器・三味線や太鼓などの響きが心を揺さぶる力です。

4、好きな歌に「浪花節だよ人生は」「岸壁の母」を挙げていますが、他に好きな歌を教えてください。

美空ひばりさんの「愛燦燦」「りんご追分」「川の流れのように」「人生一路」「哀愁波止場」。
香西かおりさんの「無言坂」「ごむたいな」「人形」「宇治川哀歌」「流恋草」。
桂銀淑さんの「真夜中のシャワー」「花のように鳥のように」「すずめの涙」「大阪暮色」「昭和最の秋のこと」。
中村美津子さんの「瞼の母」。
島津亜矢さんの「一本刀土俵入り」。
あとは「まつり」(北島三郎)は、日本人の心、感謝の気持ちを伝える歌詞が大好きです。

5、何歳から日本デビューを考えましたか?

17歳の時に、ブラジル代表として日本アマチュア歌謡祭(NAK)グランプリ大会で優勝したのをきっかけに本格的になろうと決めました。

6、ブラジルで歌を習った北川彰久先生について教えてください。

僕が現在、日本の皆様に認められる日本語力や歌の基礎を教えてくださった大の恩人、父親のような存在です。先生がいなければ現在のエドアルドが誕生しなかったです。

7、北川先生のレッスンの思い出を教えてください。

僕のことを13歳から知っていますので、僕の悪いところもいいところも全て分かっており、一つの音の外れがあれば、すぐに音楽を止めて、最初から歌い直すレッスンを受けました。最も厳しくも、最大の愛を尽くして、僕に歌を教えてくださいました。

8、北川先生によく言われたことや、印象に残っている教えは何ですか?

一番印象に残っているのは2001年、日本アマチュア歌謡祭グランプリ大会の出場に向けてのレッスンで泣かされたことでした!(笑)
歌に対しての気持ちがまだ甘い、そんな気持ちじゃ優勝できないと、とても厳しくも一番僕のことを思い、レッスンでは怒鳴りもされましたが、僕の心の中では一番の愛を尽くして教えてくださったことが、グランプリ受賞への結果となりました。
先生のお教えのお陰で、僕の歌も日本の音楽専門家(レコード会社のデイレクターやプロデューサー)の皆様に認められたことを、今でも強く覚えています。

9、「母きずな」の作曲者であり、歌の先生であるあらい玉英さんについて、教えてください。

初めて歌を聞いてくださった時に、先生のご主人も立ち会い、僕の歌を聞いてくださいました。そこでご主人からあらい先生へ「この子は声に特徴(中性声の個性)があって、磨いていけばおもしろい! 育てるといい!」と言ってくださったことで、あらい先生の元で2014年の6月に弟子入りいたしました。
子供のように可愛がっていただき、現在のエドアルドの歌唱力、日本語力、プロとしてのオーラを磨いてくださいました。

10、どんなきっかけでCDデビューすることになったのですか?

全て恩師、作曲家・あらい玉英先生のお陰です。あらい先生はまず所属事務所になりましたプロダクションオーロラへ行き、小菅社長に僕のことを伝え、ぜひ世に出したい、力になってくださいとのお願いをしたところ、「ヨッシ!わかった」と、小菅社長が僕の「岸壁の母」を聞いて賛成してくださり、事務所が決まりました。
そこから僕と母 (ナツエ)の今までの人生を聴き、「母」をテーマにした曲を作って欲しいと社長からの依頼。
あらい先生はたきのえいじ先生へ連絡し、僕の詩をお願いしたのが「母きずな」の誕生。その後、事務所社長とあらい先生、たきの先生の話合いでテイチクレコードへお話しを持っていき、そちらでも上手く決着がつき、レコーディング、そしてデビューへと繋がりました。

母きずな / エドアルド

11、「母きずな」の歌詞は、どうやって作られたのですか?

たきの先生はあらい先生から僕の今までの人生を聴き、作詞をしてくださいました。その後にあらい先生がメロディーを作ってくださいました。

12、たきのえいじさんに作詞してもらったことについて。

偶然にも初のブラジル女性歌手のマルシアさんの「ふりむけば横浜」を作詞したのがたきのえいじ先生で、ブラジルの初の男性演歌歌手の作詞を手掛けることにも運命を感じます。

13、たきのえいじさんに言われたことや、印象に残っていることは何ですか?

たきの先生には、母への感謝の気持ちをあえて「ありがとう」と言う言葉を一回も使わずに、僕の人生をベースに日本語の美しさ、現在忘れられてきた日本人の心、親子愛を心を込めて歌えば聴いてくださる皆様に必ず届くはずです!と言ってくださいました。

14、デビュー曲の「母きずな」について、初めてその歌詞を見たとき、どう思いましたか?

自分の人生そのものが書かれていることに、絵が浮び、感動、感心、喜び全てがいっきにこみ上げて、涙が止まりませんでした。

25、デビュー曲の「母きずな」について、初めてその曲(リズム・メロディー)を聴いたとき、どう思いましたか?

あらい先生の元で「母きずな」とカップリング曲の「夢慕情」の誕生からレッスンを受けていましたが、毎回歌っていくほどに曲への奥深さやメロディーの流れの美しさに、レコーディングまでのワクワク感と楽しみに包まれていました。

15、初めて「母きずな」を歌ったとき、どう思いましたか?

あらい先生に大の感謝を伝えたと同時に、とても気持ち良く歌ったのを覚えてます。レコーディング当日、初めて編曲してくださいました前田俊明先生のアレンジが出来て25名によるスタジオで生演奏を耳にした瞬間、人生で初めて感じた身体中の震えと感動のあまりに涙が止めどなく溢れました。人生で一番嬉しい日でした。絶対に聴いてくださる皆様の心に届くと確信を抱きました。

16、美空ひばり、ちあきなおみ、細川たかし、森進一と、好きな歌手をたくさん挙げていますが、中でも特に好きな歌手は?

同じ所属事務所の先輩・香西かおりさんが大好きです!同じ事務所に所属していることが夢のようです。

17、好きな食べ物は何ですか?

日本食全てです!

18、生みの母・ジョゼッファさんに何を伝えたいですか。

素晴らしい日本人家族へ与えてくださったことの感謝を申し上げます。

19、育ての母・ナツエさんに伝えたいことは?

生みの親より育ての親といいますが、そのとおりだと思います。今日僕がこうして成功していることは、ずっと日本に来日してから母が一緒にいてくれたからこそ、いくつもの五年間の苦労も辛さも乗り越えられました。
そして今は母と喜びに満ち溢れている日々を送るのが僕の一番の嬉しさで幸せです!
母にまだ何の親孝行もしていない自分ですが、「母きずな」は僕と母の一生のきずな、心から「僕を育ててくれてありがとう」と伝えたい!
そして聴いてくださる皆様にもそう思っていただけるように一生心を込めて歌っていきたいです。

20、今後の活動について、夢や目標を教えてください。

初のブラジル男性演歌歌手としてとても誇りに思いますし、日本とブラジルを繋ぐ大きな架け橋になりたい! 
応援してくださったブラジルの皆様に心から厚く厚くお礼を申し上げます!

◆ エドアルド オフィシャルサイト ◆